東西の祈りの空間について

宗教の違いはともかく人が何かを祈る場面で、凛とした空気を感じるのは私だけでしょうか。私は特定な宗教は持ちませんが、祈りの空間にある静謐な空気の感触が大好きです。西欧で暮らしていた若い頃は、よく教会を訪れていました。キリストの磔刑像やステンドグラスを見るのが好きで、時間によって刻々と変化する光陰の効果を味わっていました。西欧のゴシック建築は上へ伸びる複数の石柱が、魂を天に導くように演出していて、ある種の快さを感じさせてくれました。パイプオルガンも荘厳な響きがあって空間と音響が織り成す非日常的で、極めて西欧的な感覚に基づいた昇天気分を齎せてくれます。それはキリスト教を、私が知識ではなく皮膚感覚で知った瞬間でした。日本では石作りの教会が少ないため、そうした皮膚感覚はありません。日本独特の小さな母屋の中で聴く合唱や祈りの言葉に接して、信者はキリスト教を受け入れている感覚を私は持っています。日本での荘厳な祈りの空間は何と言っても仏教の寺院です。そこにある複数の木柱は、教会とは異なり魂を天に導く感覚はなく、どこか異界に魂を収めていく感覚を私は持っています。西欧は気候が乾燥しているのに比べ、日本の気候は湿潤に包まれているためなのか、若しくは石作りと木作りの素材文化の違いのためなのか、祈りの空間はまるで異なる雰囲気があって、日本ではそうした仏教伽藍の中にいるのも、私にはある種の快さを感じさせてくれます。祈りの空間とは一体何なのでしょうか。聖書や経典による教えを紐解くだけではない何かがそこにあるように思えてならないのです。宗教とは縁のない人たちが教会や寺院を訪れた時に敬虔な気持ちになってしまうのは何故でしょうか。私は美術的な興味関心があるだけですが、教会や寺院は美術館とは異質な空間があり、そこに敬意を払う気持ちにさせられます。そこに漂う濃密な空間をどう説明するのか難しいところですが、祈る行為は宗教とは関係なく存在していて、人々の思いがそこに凝縮されているとでも言ったらいいのでしょうか。祈りの空間は東西を問わず、特別な空間であることに変わりはなさそうです。

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