命を繋ぐ思いをこめて…

今日は3.11です。8年前に未曾有な被害を齎せた東日本大震災。横浜でも大きな揺れがあって、物資の運搬経路が一時ダウンし、自然災害の影響力を感じ取った日々を今でも忘れることが出来ません。もうあれから8年も経ったのかという実感を持ちますが、東日本大震災後もあちらこちらで震災が起こり、今でも熊本城のような歴史的遺産の復元作業が進んでいる最中です。私たちは日本で生活する以上、こうした自然災害と付き合っていくしかないと思っています。私は毎年この日になると職場の放送機器を使って弔意を述べ、1分間の黙祷を捧げてきました。今日は職場では儀礼的なイベントがあり、職場を上げてお祝いをする日になっていました。今日は黙祷や半旗を掲げることはせず、私の式辞の中で東日本大震災に触れ、震災で亡くなった多くの方に報いるために命を繋ぎ、安心できる未来を作っていこうと呼びかけました。内容の導入として、先日わずか268グラムで生まれた赤ちゃんが無事退院したニュースを取上げました。それに関わって朝日新聞の天声人語にこんなことが掲載されました。「人間は誰でも未熟な段階で生まれてくる。それが他の動物との大きな違いである。馬のように生後間もなく駆け出すこともできず、猫のように生まれて数週間後に自分で食べ物を見つけることができない。」という文章でした。これを利用して、人間は親の保護がなければ育つことができず、命を繋ぐことができないと私は話を続けました。その代わり人間には学習に対する伸びしろがあり、言葉を話し、道具を使い、知恵を絞る特長がある、人間が命を繋ぐためには周囲の庇護が必要なのだ、人間は人と関わることで豊かな未来を作っていけるという内容を述べさせていただきました。私は毎年3.11を命のことを考える日と決めています。私がやっている創作活動も鑑賞する人に、私たちが生きている空間とは何か、空間的美意識とは何かを伝えていくもので、命を活性化するもののひとつではないかと自負しています。何もないところから創造して、何かを作りだせる能力は、人間だけに与えられた素晴らしい力だと私は常々思っていて、それが私を突き動かしている原動力なのだろうと考えています。

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