映画「私は、マリア・カラス」雑感

音楽史に永遠に名を残した不世出のソプラノ歌手マリア・カラス。私は20代でウィーンに住み、国立歌劇場へ足繁く通い、また親戚にテノール歌手がいるという稀有な環境によってオペラの世界が比較的身近でしたが、マリア・カラスの歌姫伝説は当時からよく知っていました。自分がやや遅れた世代だったために、生の歌声を聴いたことがないのが残念でなりません。自分がウィーンにいた1980年代にはカラスは既に他界していました。そんなカラスの生涯を扱ったドキュメンタリーが上映されていることを知って、早速横浜のミニシアターに家内と行きました。一昨晩は勤務終了後のレイトショーでスター街道を歩いた歌姫のドキュメントを堪能しました。噂ばかり先行していたカラスの生きざまを、本人の音声によって初めて実態を知り、稀有な才能を背負った大歌手でも不安や焦燥に慄いている場面に、身近な存在として親しみが湧きました。それでもカラスの人生はオペラそのもののようで、喝采と醜聞に明け暮れていたようです。図録にこんな箇所がありました。「オペラは、悲劇で綴る哲学。オペラ歌手として、人間の悲哀をこそ情感たっぷりに歌いあげる天賦の才能を与えられた女は、単純な、あっけらかんとした人生を生きることは許されなかった。~略~まさしく社交界の花形でありながら、純粋な愛に生きた椿姫のようでもあり、禁断の恋に落ちつつも、恋人の裏切りにあう巫女ノルマのようでもあり、また愛する人をけなげに待ち続けるも、夫と思っていた人が、他の女性と結婚していた事実に苦しみもがく蝶々夫人のようでもある。」(齋藤薫著)一緒に行った家内は、カラスの眼力が凄かったと感想を漏らしていましたが、カラスの容姿も舞台に映え、演技力もなかなかで、もう少し長く生きていれば女優としても頂点に登りつめていたかもしれません。享年53歳、短命だったと思っているのは私だけではないはずです。

関連する投稿

  • 「陶紋」を携えて叔父宅へ 今回の個展に出品した「陶紋」のひとつを叔父が購入してくれました。今日は自分の勤務終了後に「陶紋」を携えて叔父宅に行きました。叔父は声楽家です。叔父の家にはヨーロッパの品々が多く展示されています。1階 […]
  • クラシック音楽を聴く機会 20代の頃にオーストリアの首都ウィーンに住んで、リング(環状道路)沿いにある国立歌劇場に毎晩通っていました…と、書くと自分はいかにも文化意識が高く、経済的にも恵まれた、どちらかと言えば鼻持ちならない […]
  • 「下野昇ベストセレクション」 表記は横浜青葉台にあるフィリアホールで開催された声楽家のリサイタルです。下野昇は家内の叔父です。二期会に属して「タンホイザー」や「カルメン」といった数々のオペラに出演してきました。劇団四季の「CAT […]
  • オペラ盛況の中で ウィーン国立歌劇場の立ち見席で何度もオペラを観るうち、歌唱の巧みさがわかってきました。観客は正直なもので、実力派歌手が出演するオペラは立ち見席の窓口に長い列ができました。歌劇場を一回り以上の長蛇の列 […]
  • シュナイダーシームセンの舞台 ギュンター.シュナイダーシームセンは様々なオペラの舞台デザインを手がけた人です。具象的な作風でしたが、スケールが大きく遠近法を巧みに用いた迫力ある舞台でした。カラヤン指揮による壮大なオペラにシュナイ […]

Comments are closed.