川崎の「イサム・ノグチと岡本太郎」展

先日、神奈川県川崎の生田緑地にある岡本太郎美術館に行きました。同館で開催中の「イサム・ノグチと岡本太郎ー越境者たちの日本」展が見たくて、久しぶりに木々に囲まれた岡本太郎美術館まで足を伸ばしたのでした。彫刻家イサム・ノグチと画家岡本太郎、この2人の偉大な足跡を残した芸術家の作品は、それぞれの展覧会でよく知っている私としては、新鮮味はないものの、同じ空間に並ぶ作品がどんな化学反応を起こすのか興味津々でした。印象としては派手な革新性よりも、2人の芸術家としてのキャリヤをスタートさせた源泉が見えて、改めて表現の相違が浮かび上がっていました。イサム・ノグチは素材を生かす紛れもない彫刻家であり、岡本太郎は迸る色彩に溢れた画家として認識しました。2人とも多様な分野に作品を提供していましたが、岡本太郎の三次元の立体作品は絵画のイメージを翻案したものだろうと感じました。ノグチの空間的調和、岡本の闘争的主題、いろいろなところに比較対象がありましたが、それぞれに外国と日本を意識しながら自己を見つめ続けた苦難の道だったことが分かりました。図録より引用いたします。「岡本にとっても、ノグチにとっても、芸術の要として探求されたのは作品の存在感であり、さらにはその存在の啓示であった。しかし、存在のあり様が両者の作品では異なっている。ノグチの場合、まずもって沈黙的で身体的で触覚的な存在であるのに対し、岡本の場合は、色彩や造形手段のダイナミズム、観る者に挑みかかる眼差しが暴力的に自己表現する存在である。」(ダリオ・ガンボーニ著)2人が生きた時代は戦後間もない頃の、日本の現代美術が芽吹く時代であり、アバンギャルドが台頭する潮流がありました。逆に旧態依然とした美術界がまだ保守性を保っていて、アカデミックな芸術も持て囃されていた時代でもありました。図録では2人が持っている個人美術館に触れた一文もありました。「芸術家の個人美術館は、いわゆる『芸術家の家』の発展形の一つであり、ルネサンスの時代から、とくにイタリアで、芸術を崇拝し、芸術家を記念することに貢献してきた。その数は1800年の世紀の変わり目を境に増加する。とりわけ~略~彫刻家の場合に顕著だが、それは彫刻作品が概して散逸しがちであるとともに、アトリエに習作や模型が多数残されることが多いためである。」(同氏著)個人美術館は羨ましい限りですが、2人の個性的な美術館にはリピートをしたくなる要素が詰まっているように思います。

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