「目に見えない色」について
2018年 12月 18日 火曜日
昨日に引き続き「見えないものを見る カンディンスキー論」(ミシェル・アンリ著 青木研二訳 法政大学出版局)の単元を取上げます。今回は「目に見えない色」についてです。カンディンスキーの著書「点・線・面」の中では、色彩以外の造形要素の分析がありますが、それでも著者は色についてのカンディンスキーの理論を読み解いています。「われわれは、線の実際の存在とは線を生み出す力であり、最終的にはその力の情念であり、したがって目に見えない存在であることを論証した。色の場合の証明は、同じやり方で、同じくらい明快に行ない得るであろうか?色はいかなる力とも結びついていないように見えるし、主観性の領域の中に自己を同じように組みこんでくれそうな主観的性質を有する媒介物をまったくもちあわせていないように見える。」と色についての否定的な見方を冒頭では標榜していますが、カンディンスキーが展開する色についての情熱的な論考を取上げて、色は目に見えない生の中に感じ取ることができると結論付けています。色を包括的に含んだ絵画論に、私が気に留めた箇所がありました。「絵画は、ことばなしですませる。そのことが抽象絵画によって教示されるのであり、また抽象絵画に表現力をもたらすのである。実際、もし色が外的な関係によってわれわれの心の諸感情とかかわるのではなく、その諸感情の中に真の自己存在ー純粋な感覚としての、純粋な体験としての自己のありようーを見出しているとすれば、色は、ひとつの方法として、目に見えないわれわれの生という抽象的な内容を表す必要はない。色はわれわれの生と一致している。色はわれわれの生の情念、苦しみ、憂い、孤独、喜びとなっている。」これは抽象絵画における色の関わりが示された一文です。次に抽象絵画とは何か、というより一般的な絵画についても生と色との関係を解いています。「生と芸術作品との関係において、対象に意味や価値を与えることのできる眼ざしはまったく存在しない。なぜなら眼ざしや意味や対象は存在しないからであり、たとえば生と色との関係とは、色の主観性、すなわち生それ自体であるからである。」今日はここまでにします。