「要素の統一性」について

「見えないものを見る カンディンスキー論」(ミシェル・アンリ著 青木研二訳 法政大学出版局)の中で、「要素の統一性」について取り上げます。冒頭の文章から引用すると「要素の統一性とは絵の統一性にほかならない。それはコンポジションの統一性であり、より正確にいえばそのコンポジション自体である。」というのが、この論文の主旨であって、そこから派生するさまざまな平面上に於ける空間について論じています。それにはまず実在の空間か、想像上の空間かを問いかけています。三次元の錯覚を作り出す古典主義絵画は、こんな一文で表しています。「絵の上では遠近法が錯覚をひき起こすということは、遠近法の構築する空間が想像上の空間であることを意味している。」所謂写実絵画は平面上に静物なり、人物なり、風景なりの描写を通して、平面上に奥行きという錯覚を与えているに過ぎないことが述べられています。では実在の空間とは何でしょうか。「コンポジションの、すなわち絵画の可能性は、今や空間自体の中に、ありのままの外面性の中にあるだろう。」というのがカンディンスキーの分析にあり、絵画的空間を根本的なところから捉え直しているのが、カンディンスキーが提唱するものだろうと私は思いました。こんな一文もありました。「平面はそれ自体ひとつの要素であるということだ。このようなものとして、平面は二つのやり方で現れて来る。つまり、外面性において外面性そのものとして、そして情念的諸様態すなわち生の諸様態にもとづいた内面性において。平面の統一性とは内部の統一性である。その統一性が生の中にあり、生と混ざりあっているからこそ、それは情念であるのだし、潜伏している動的な構造化が、基礎平面を貫いて秘められた拍動を与えるのである。」今日はここまでにしておきます。

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