汐留の「ジョルジュ・ルオー展」

東京新橋で下車し、地下道を歩いていくと汐留の現代的な高層ビル群が見えてきます。パナソニック汐留ミュージアムはそんなビルの4階にあります。先日、同館で開催されている「ジョルジュ・ルオー展」に行ってきました。フランスの画家ルオーは、私にとって理解し難い画風をもつ巨匠でしたが、今回の展覧会でルオー芸術の神髄に触れたような気がして興味関心が高まりました。キリスト教の教会を彩る宗教画は、祈りの対象となることが基本であって、美術作品としての鑑賞は芸術概念が出来上がった時代の新しい視点だろうと思っています。それでもミケランジェロを初め、優れた宗教芸術が昔から存在し、キリスト教信者でない私たちが美術的な感銘を受ける場面も少なからずあります。日本の仏像然り、美的観点から眺めても心を打つ作品は、宗教を超えて確かに私たちに迫ってくると感じています。ルオーの「聖顔」シリーズを見ると、幾度も絵の具を塗り重ね、堅牢なマチエールを作っていて、敬虔な信仰心が生んだ作品であることが私にも伝わりました。図録によると、20世紀のカトリック復興運動と連携した「聖なる芸術」についてこんな一文がありました。「『聖なる芸術など存在しない。しかし信じる人々によって作られる聖なる芸術は存在する』とあくまでも信仰の重要性を訴えたルオーが、批判的であった当の『聖なる芸術』運動そのものによって結果的に戦後ヨーロッパを代表するカトリック画家となりえたのはなんとも皮肉である。」(後藤新治著)戦後、退廃芸術家の烙印を押されたユダヤ人を初めとした現代芸術家の名誉回復のために興った「聖なる芸術」運動。これによる礼拝価値と展示価値が同居する「礼拝堂=美術館」構想は、一部を除いて今もって定着していないようです。もう一文、図録より引用いたします。「ルオーは、栄誉のためではなく、自身の芸術を信じ、神の真実を追求し、労働者や職人のごとくただひたすら描くという行為に徹した。そして、キリスト教主題でありながらも、過去や伝統や古典に依拠するのではなく、同時代の社会や人々(現代人)に訴えかける芸術を貫いた。」(萩原敦子著)私がルオー芸術を理解した要因は、「労働者や職人のごとくただひたすら描くという行為」によって深遠な世界観が覗き見えたことによります。信仰を表現にすることに妥協がなかった芸術家がルオーと改めて思っています。

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