レディメイドによる価値転換

東京上野にある東京国立博物館平成館で開催されている「マルセル・デュシャンと日本美術」展について追加のNOTE(ブログ)を起こします。本展のデュシャンの作品全体を改めて眺めてみると、美術史が長い間培ってきた概念がデュシャンによって壊されていく過程が示されていて、彼の足跡が巨大なモノであったことが認識できます。図録によれば「彼は自由で独創的であるために、芸術家は社会の一員になることをとにかく避けなければならないと結論付けたのである。これはデュシャンにとって、絵画制作を職業にしてはならないということや、芸術で生計を立ててはならないということを意味していた。」(マシュー・アフロン著)とありました。画家という職業は中世以来ヨーロッパでは宗教から端を発して定着していることから、こうした職業理念が生まれたのでしょう。芸術家が革新を求めるならば、職業画家になってはいけないとデュシャンは考えていたのでした。雑貨店で売っている既製品を芸術作品として価値転換を図るという企ては、自転車の車輪を逆さまに固定して眺めるという玩具的な気晴らしから始まったようです。「デュシャンは、大量生産された既製服を表すために使われるレディメイドという言葉を服飾産業から借用した。しかしながら、デュシャンの構想によると、芸術家の署名とともに銘文ー大抵は無意味な、あるいは暗号的な語句ーを入れることによってのみ、大量生産された商品が挑発的なレディメイドの地位を得るのである。~略~細工を施したレディメイドとしてのその複雑なデザインや、メタファーおよび象徴性は、パブロ・ピカソの同時期のアッサンブラージュに通じ、芸術作品の地位へと接近している。」(マイケル・R・テイラー著)と図録にありました。有名な「泉」も男性用小便器を展覧会に出品するという衝撃的価値として作家が選んでいて、そうしたレディメイドによる芸術的な価値転換を図ったものです。こうした動きが今後さまざまな曲解や誤解を孕みつつ、正統な評価を受け、今日のアートを形成してきたと言っても過言ではありません。

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