「イサム・ノグチ 庭の芸術への旅」読み始める

「イサム・ノグチ 庭の芸術への旅」(新見隆著 武蔵野美術大学出版局)を読み始めました。イサム・ノグチは日系アメリカ人の彫刻家で、現代美術に大きな業績を残し、NOTE(ブログ)にも度々登場する巨匠です。先月末に関西に出張した折、私は松尾大社で重森三玲が作った庭園を見ました。古来から継承される日本庭園に現代的解釈を加えた重森三玲の世界観は、忽ち私を魅了し、そこの空間から離れ難くなりました。その時、ふと私の脳裏を過ったのはイサム・ノグチの彫刻群が置かれたストーンサークルでした。イサム・ノグチも庭園を設計しています。その「庭の芸術」の観点からイサム・ノグチの作品全般を論じている本書は、重森三玲の世界に通じ、実際に庭園に触れたことが契機になって読んでみようと思ったのでした。私は亡父が造園業を営んでいたおかげで、庭園に対する興味関心がありましたが、私にとって造園は複雑な分野でした。彫刻に目覚めた学生時代から造園を意識するようになりました。しかしながら、それ以前は家業を手伝うことに反発があり、野外での肉体労働を嫌々やっていました。庭石の据え方、植木の刈込み、植木の移動、芝の手入れ、その全てに父の指示を受け、複数の職人との協働作業を行っていました。庭園が完成した時は、多少なり労苦が報われた感覚を持ちましたが、そこに芸術的視野を持つことができずに、悶々としていました。私の彫刻が、場を空間演出するようになって、初めて亡父が求めていた造園の概念との一致を果たすことができたのでした。そこに重森三玲とイサム・ノグチが登場し、私の関心は一気に「庭の芸術」に傾きました。本書では、庭は「ノグチの考える、自然とか、彼の独特な風景論を解く、鍵のように思われたからだ。」とあって、西欧の彫刻概念とは異なる何かがノグチに空間志向を与えたのではないか、また自然と遊離した文明が喪失したものを、ノグチが感じ取り、庭に向かわせたのではないか、「優れた芸術家に必須の霊感が、ノグチにそう予感させ、何かを促したに違いない。」とありました。これだけでも本書は面白さを感じさせる書籍です。通勤の友として楽しみながら読んでいこうと思います。

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