「アートと美学」を読み始める

「アートと美学」(米澤有恒著 萌書房)を読み始めました。以前、「芸術の摂理」や「聖別の芸術」(どちらも淡交社)を読んだ時に、その著者の一人であった美学者米澤有恒氏の評論が気に入りました。本書は米澤氏が出されている書籍と分かって、すぐに購入しました。米澤氏の文章は決して平易ではないと思いますが、私には論法が分かり易く、何故か理解のツボに嵌るのです。加えて美学とは何ぞや?という私の基本的な疑問に答えてくれているので、重宝する書籍だろうと考えます。「まえがき」で米澤氏が言う通り、言い古された「芸術」とか「美術」に代わって、最近は「アート」という言葉をよく耳にします。外来語に訳されただけの話ではなさそうで、「芸術」と「アート」では概念にズレが生じているようです。アートというと、私は包括的で広範多岐にわたる芸術現象をイメージします。本書の「始まりの章」から文章を拾ってみます。「『コンセプトconcept』という言葉がある。アートの広がりにつれて、よく耳にするようになった。『概念conception』から派生した言葉である。~略~この言葉を美学は知らなかった。類似と思しい言葉を探すと、美学には『主題』、『テーマ』、と呼ぶものがあった。だが少し違うようなのである。主題やテーマは芸術に『外から』与えられたものだったが、コンセプトは芸術の『内側』のものであるらしい。」そんなアートを美学がどのように扱うのか、こんな一文もありました。「芸術の意味付けが変わると美学の対応も変わる。とするなら、芸術がアートに変わってきた以上、美学も芸術への対応を変えて当然である…と、そう単純にいくものでもあるまい。~略~コンセプチュアルになったアートに対してなら、やはり本来コンセプチュアルであった美学がコンセプチュアルに対応するのがよいのではないか。ここですでに『コンセプチュアル』という言葉の意味がこんがらがってきている。」面白くなりそうな気配のする書籍だなぁと思いました。通勤の友として楽しみます。

関連する投稿

  • 「絵画、彫刻の自律性の追究」について 「中空の彫刻」(廣田治子著 三元社)の第一部「19世紀における『画家=彫刻家』と『芸術家=職人』の登場」の第1章「画家と彫刻家」の「3 […]
  • 非存在という考え方 あまり夢を見ない私が、ある晩に見た夢を覚えていて、夢の中では学生時代に遡って彫刻を学び始めた頃の私になっていました。人体塑造をやっていた私は、どこの部分の粘土を削り取ったらいいのか散々考えていました […]
  • イサム・ノグチの両親について 先日から「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 […]
  • コトバと彫刻について 私は彫刻に関わるようになったのは大学の1年生からで、それまで工業デザインを専攻するつもりだった私が、極端な方向転換をして初めて彫刻に出会ったのでした。本格的な立体表現を知らなかった私は結構混乱して、 […]
  • 「日本を語る 多様で一途な国」について 「日本流」(松岡正剛著 筑摩書房)は、読み易いうえに視点がユニークなので、通勤途中やちょっとした休憩時間に、つい頁を捲って読んでしまいます。第一章は「日本を語る […]

Comments are closed.