週末 羨望の彫刻家を惜しむ
2018年 1月 21日 日曜日
今日は朝から工房に篭って、昨日の続きである天板の刳り貫き作業をやっていました。加えて再制作をした大きな陶彫部品がやっと乾燥したので、午後はヤスリをかけて表面を整え、化粧掛けを施していました。昼ごろになって近隣のスポーツ施設に久しぶりに出かけて、水中歩行や水泳をやってきました。今日は通常の週末を過ごしていましたが、夕方自宅に戻って新聞を広げたら、自分が学生時代から遠巻きに見ていた彫刻家の訃報が掲載されていました。当時、自分は彫刻学科に籍がありましたが、保田春彦先生は共通彫塑の教壇に立っておられました。一度だけ直接指導を受けたことがありましたが、保田先生の厳しい姿勢に圧倒されたことが印象に残っています。学生時代の自分は塑造が下手で立体把握能力に疑問を持ったこともありました。具象の塑造を作るだけで精一杯だった私は、保田先生の前に出るだけで緊張が走りました。それでも私は保田先生のような抽象彫刻に憧れていて、機会が許せば保田先生の個展には必ず出かけました。新聞には「建築物を思わせる金属の彫刻」とありましたが、私も長い思索の中で西洋の遺跡をテーマに抽象に向いました。保田先生を羨望の眼差しで見ていたのは、「保田龍門・春彦」という近代彫刻史から現代に至る親子の存在でした。明治時代に西洋から齎された生き生きとした具象彫刻、その筆頭は荻原守衛であり、中原悌二郎でした。彼らを取り巻く彫刻家集団の中に保田龍門の名前を見つけ、そのご子息が保田先生であり、まさにその人が大学構内で制作をされているという事実は、忽ち私を虜にしてしまいました。新聞によると老衰で死去、87歳とありました。数年前ギャラリーせいほうで、保田先生は今は人体デッサンを描いているそうだと話題に上りましたが、あれから何年経ったのでしょうか。先に亡くなられたイタリア人の奥様はキリスト教をテーマにした作品を作られていました。自分の直接の師匠である池田宗弘先生もキリスト教絡みで、保田ご夫妻とは親交があったようです。ご冥福をお祈りいたします。