練馬の「麻田浩展」

先日、自宅のある横浜から東京練馬まで出かけていき、練馬区美術館開催の「麻田浩 静謐なる楽園の廃墟」展を見てきました。画家の没後20年。私は10年前の夏に京都国立近代美術館で「麻田浩展」を見ていました。その時は没後10年と謳われていました。10ごとに回顧展をやっている画家は珍しいし、衰えない人気があるのだろうと思いました。実際、展示されていた数々の大作絵画には深い精神性を秘めた世界観が浮き彫りにされてくるようで、同じモチーフが繰り返し登場しても、飽くことのない不思議な魂が宿っているようでした。画面に散りばめられた具象的な事物は、雄弁な色彩による背景の前に融和や反発をもって配置され、私の心のどこかに眠っている闇に触れてきました。嘗て自分が想像したことがあるような、否、これは初めて見る世界かなぁと意識させるものがありました。図録の中でご子息が書いている一文に注目しました。「沁みを見つめ、キャンバスのこの部分にこういうモチーフを描いてみたいと沸いてくる心の声に従ってモチーフを描いていきます。さらにそのモチーフが描かれた画布の空いた部分に次はこんなモチーフを、という風に。このいわば、イメージの連想ゲームやしりとりのようなやり方、自動筆記的にも思える手法は、実は父が幼い頃から家庭でやっていた遊びの延長線上にあるものでした。~略~病弱であった父は幼い頃から、臥せている時に天井の杉の目を見ては色々な形を夢想したりする子どもでもありました。それと同じことを父は制作のなかで行なっていたことになります。本人は自身の制作をユング心理学派の箱庭療法になぞらえたりもしましたが、この手法の面白いところは、描き進めていくと絵が出来上がる、詩的に云えば、魂が宿るという瞬間がやってくるのです。」デカルコマニーや他の実験を繰り返すことで、感情の襞を表す下塗りを作り、そこに心の声に従う廃物や水滴を描きこんで魂を宿していた絵画。鑑賞者である私は10年ごとに歳を重ね、麻田ワールドをその年齢に相応しい角度で再三鑑賞することになるのかなぁと思ったひと時でした。

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