自己疑念に陥ること

スイスの彫刻家・画家であったジャコメッティは、自己疑念に陥って、それまで熱心に作っていた自分の作品を破壊する行為もあったようです。私も20代の頃は、自分の作品をよく壊していました。私の場合のそれは高尚な理想からくる破壊ではなく、稚拙な技能による自己嫌悪に他なりません。ジャコメッティのモデルを務めた哲学者矢内原伊作の著作の中に、ジャコメッティの創作へ向かう真摯な姿勢が描かれていて、若かった私は共感を覚えました。自己を確立したわけでもないのに、私は初めから自己疑念に陥ることがあって、とにかく人体塑造による空間デッサンをやっていれば、彫刻家として人並みに何とかなると信じていました。自己疑念に深く沈むと、危うい人生が待っているような気がして、深追いは止めようとさえ思っていました。もっと陽気に振る舞えれば気分が楽になるのになぁと、若い頃はいつも感じていました。救いとしては神経が自分が思うほど細くなく、心が病んでしまうことはありませんでした。それでも家内と付き合い始めた頃の私には悲壮感があったらしく、よくぞ家内が一緒にいてくれたものだと今でも思っています。私の自己疑念は、人生半ばで方向転換をしていったようで、自分の造形表現が確立されると、健康的な精神が宿ってしまったのではないかと振り返っています。それでも自分の造形表現に今も満足は得られませんが、不安定な精神状態からは解放されました。ジャコメッティの作品を見ると、自己疑念に陥った頃の自分を思い出すのです。

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