アンフォルメルとヴォルスの関係

先日、DIC川村記念美術館で開催されていた「ヴォルス展」に行き、ヴォルスが生きた時代に興った美術の潮流に思いを馳せる機会を持ちました。それはアンフォルメルという一連の動きで、仏語で非定型な芸術という意味です。代表される芸術家はデュビュッフェやフォートリエ、マチュー等でフランスを起点に活動しましたが、アメリカでもポロックに代表されるアクション・ペインティングが始まりました。第二次大戦後の都市破壊が夥しい混沌とした社会情勢の中で、アンフォルメルは戦争による不条理を経験した人々が、自己の存在や実存を探る動きでもありました。そうであるならヴォルスが産み落とした痛々しい作品の数々は、まさにアンフォルメルそのものであったように思います。図録によると「ヴォルスの作品こそが『アンフォルメル絵画』の最深の地平にまで到達していると仮定するなら、『アンフォルメル絵画』とは、ひたすら『感覚』によってだけ人間の崩壊を追求しようとした、不可能に挑んだ偉大な、しかし必敗を運命づけられた試みのことではないだろうか。」(千葉成夫解説)とありました。私が40年前に読んだ「見えない彫刻」(飯田善国著 小沢書店)にはこう記されています。「ヴォルスは戦後美術の出発点である。近代的自我の泥沼の中の格闘から彼は自我を解放した。彼はヨーロッパ二千年の文化の崩壊をその眼で確かに見たのである。『虚無』を媒介にして彼は自我の袋小路から超越の世界へ一歩踏み出して死んだ。彼は『零』の意識そのものである。そこから戦後の美術家たちは出発した。~略~ヴォルスが表現した空間は『虚無の深淵に漂っている意識の宇宙』とでもいうよりほかいいようのない怖ろしい悪魔の世界であったが、そこでは近代的自我は粉々に砕け散って暗黒の宇宙にさながらきれぎれに飛び散る星雲の細片のように見えるが、仔細に見ると粉々に砕け散った自我の微小な細片を一つの中心に収斂する重力が存在しているのであって、これを超自我と名付けてよいかもしれない。」(飯田善国著)些か難しい言い回しもありますが、ヴォルスの現代絵画史での立ち位置がわかる論評ではないかと思います。

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