東京恵比寿の「杉本博司 ロストヒューマン展」

東京恵比寿にある東京写真美術館がリニューアルオープンして、自分が注目する作家の個展が開催されているので行ってきました。美術作家杉本博司氏はカメラマンとしての表現活動が基盤にありますが、さらに思索的なスケールの大きい世界観を有した作家なので、創出された空間を体験することが杉本ワールドを理解する一歩と私は考えています。今回の展示では新しくなった美術館を廃墟のような空間に変えてあったため、世界の終焉に彷徨い込んだ錯覚を私は持ちました。「今日、世界は死んだ。もしかすると昨日かもしれない。」と題した会場には33のテキストがあって、その33の部屋毎に古美術や廃物が置かれ、さまざまな視点によって世界の終焉を物語っていました。「杉本が『歴史の歴史』で、人間が死によって時間を初めて意識した古代から宇宙の生成にまで遡り、我々はどこからきたのか、どのように生まれてきたのかという問いについて考えようとした。『今日、世界は死んだ』展では、過去から一気に未来へと想像力を働かせ、未来の視点から、壮大な宇宙の歴史のなかの一瞬の閃光のような人類文明史が語られ、人間はこの先、どこへ行こうとしているのか、時間が停止するとき、未来に残る人類の記憶、そして精神と技術を残す表現は何なのかを問おうとする。」(三木あき子著)と図録にもありました。別の見方をすれば、終焉の捏造またはパロディともとれる表現の中に、作家が米国で実体験した9.11の崩壊現場もあって、人が作り出したモノが失われてしまった近未来の様相に真摯に向き合う作家の姿を感じることができました。「廃墟劇場」という写真連作には作家本人の文章があったので掲載します。「死からの復活こそは古代エジプト以来、いや文明発生以来の、人類の最大関心事だった。生きて動くかに見える映画をもう一度写真に撮って止めてみたい。写真の過剰によって生き返った亡霊たちを、もう一度写真によって封じ込めなければならない、という使命感のようなものを、その時感じたのだ。」杉本博司という作家が40年もの歳月をかけて取り組んだのがこの「廃墟劇場」でした。「廃墟劇場」の展示の裏に「仏の海」と題された三十三間堂の写真連作がありました。作家本人の文章を掲載します。「私はこの広い堂宇の中に一千一体の輝く仏像に囲まれてひとり佇んだ時、来迎図のただ中にいる自分を発見した。そして『死』とはこのように訪れるものなのだと予感したのだった。」このコトバに自分は感動を覚えました。世界の終焉を描いて見せた作家は、自分の終焉をどう捉えているのか、ちょっぴりわかった気がしました。

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