「鈴木久雄 彫刻の速度」展について
2016年 11月 7日 月曜日
先日、武蔵野美術大学美術館で開催中の「鈴木久雄 彫刻の速度」展を見てきました。年譜によると現在70歳を迎える抽象彫刻家の、鉄や石を使った大作が並ぶ展覧会で、その構造体が周到に計算され、また室内空間に縦横に配置された作品群に感銘を覚えました。最近こうしたガツンとした実材による展覧会を見る機会がなかったので嬉しく思えました。鈴木氏の鉄の彫刻を写真で見ると、私は当初無垢の鉄棒を捻り込んだものと思っていましたが、実物は小さな輪をひとつずつ溶接して捻れを作っているものであることがわかって、鉄棒の突端に六角錐を逆さに立てたり、広い空間をシャープに横切る軽やかさは、こうして生まれるのかと改めて納得した次第です。まさに空間を疾走する速度としての美がそこにありました。私が彫刻を学んでいた頃、鈴木氏は共通彫塑研究室の助手を勤めていたようです。その頃、氏は専ら石彫をされていたようでしたが、同研究室の保田先生や若林先生に憧れを抱きつつ、遠くで眺めていた当時の私の密かな観察をつい思い出してしまいます。それなら研究室を訪ねればよかったじゃないかと思われる節もありますが、池田宗弘先生に師事し、具象彫刻を習得するのに精一杯だった私は、そんな余裕はなかったのでした。展覧会の図録に彫刻家建畠覚造氏が文章を寄せています。「作家にとって、自ら築いた城を攻める敵は自分自身なのである。此の様な城塞との格闘を通じて、鈴木は己れの個の峻別を行って来た。つまり、鈴木久雄と云う作家は、今様に区別された美術の領域の、何処にも組み込む事の出来ない、極めてストリクトでハードボイルドな存在なのである。」という箇所に気が留まりました。実材に真っ向から取り組んで存在感を示す作家が少なくなっている昨今、氏は貴重な存在に思えてなりません。最後に評論家酒井忠康氏の文章を引用させていただきます。「発想の遠心性と手法『鍛造』の求心性を巧みに裁く、ある種のコツを習得するのに半世紀も要しているのは、いかにも鈴木氏らしい意思の持続である。鈴木氏のこうした仕事の展開に、有形無形にさまざまな影を落としているのは、『わが師』としての保田春彦氏であるのはいうまでもない。」