六本木の「ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち」展
2016年 8月 2日 火曜日
先日、東京六本木にある国立新美術館に「ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち」展を見に行ってきました。私は20代の頃、ウィーンにいました。隣国のイタリアの街ヴェネツィアには鉄道で行けることもあって、複数回ヴェネツィアを訪ねています。今になって思えば、もっと長く滞在しておけばよかったと後悔していますが、あの頃は懐も心許なく、ヴェネツィア中央駅の広場で野宿をしたこともありました。当時アカデミア美術館や謂れのある教会も訪ねたはずですが、観た作品をほとんど忘れていました。唯一ティツィアーノの女性裸体画が輝くばかりに美しかったと記憶しています。ヴェネツィアは美術館よりも街全体が楽しくて、入り組んだ運河や迷路のような小路が、胎内潜りのような感覚を自分に植えつけたのでした。輝く裸体画という私の印象は満更適当なものではなく、図録にこんな文章が掲載されていました。「イタリアの他都市のような小さな宮廷をもつ君主国と違って、政治・経済を支配する当事者の数がより多い寡頭政の国家であった。~略~ヴェネツィアは、とりわけ対抗宗教改革の時代においても、ヨーロッパの他の国に比べて性に関して自由な都市であった。~略~16世紀以来、売春を目的とする旅行がフランス人やイギリス人によって行われていたことがわかっている。いずれにしてもヴェネツィアでは、比較的検閲がゆるやかであったため、抑圧や弾圧に悩まされることはなく、生の悦楽に満ちた絵画表現が可能であった。~略~ヴェネツィアは国際都市であった。それゆえ画家の国籍や文化の違いにも非常に寛容だった。ヴェネツィアでは、ユダヤ人、トルコ人、ドイツ人、アルバニア人など多くの外国人コミュニティが、共和国政府と軋轢なく平穏に共存していた。」今回来日していたアカデミア美術館所蔵の傑作には、こんな社会背景があったのだなぁと思いつつ、サン・サンヴァドール聖堂に収まっていたティツィアーノの巨大宗教画「受胎告知」の前で足を止めていました。同絵画に関しては別稿を起こします。