「人間モーセと一神教」終結部Dまとめ

「人間モーセと一神教」(フロイト著 吉田正己訳 日本教文社)終結部の「D応用」のまとめを行います。冒頭に「早期における外傷ー防衛ー潜伏ー神経症の発病ー抑圧されたものの部分的回帰、これが神経症の発展に対してわれわれのたてた公式である。~略~人類のばあいにも性欲的=攻撃的内容をもった事件が起きて、永続的な結果をあとに残しているが、それはおおむね防御され、忘れられてしまい、あとから長い潜伏ののちに作用を引起して、構造や傾向において神経症の症候に似た現象をつくりだすのである。~略~その症候に似た結果が宗教的現象であることを示したいのである。」とありました。神経症の症状を人類史における宗教の成立にあてはめて論考を展開するフロイトですが、嘗て「トーテムとタブー」を上梓した自信からか、フロイトが最も得意とした分野に、人類史を引き入れようとする思いが伝わってきます。「エジプトから借りた一神教の独特の特徴が、魔法と神秘とを否定することにより、精神性における進歩に対する刺戟により、昇華に対する要求によって、いかにユダヤ民族に作用し、その性格に永遠の刻印を押さざるをえなかったか、また、この民族が真理の所有によって至福を感じ、選民の意識によって圧倒されて、ついに知性の尊重と倫理性の強調に達したのはどういうわけであるか、さらに、どのようにしてこの民族の悲惨な運命、現実的幻滅が、すべてそのような諸傾向を強化しえたのであるか」という問いかけを自ら発し、それをフロイト流心理学で解明しようとする姿勢が、今後の展開に臨むフロイトの考察になっていくようです。これは果たして精神分析学という学問的考察なのか、単なるフロイトの妄想なのか、ちょっと暴走している気配を私自身感じながら、この章のまとめにしたいと思います。

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