2つのまえがき
2016年 6月 14日 火曜日
今日のNOTE(ブログ)は内容的には昨日の続きになります。世間に発表しようとする論文が激しい不興を招くことが予想される場合に、学者は発表の時期に躊躇している場合があるようです。そこでいざ発表を決断したら、社会情勢が激変していることもあります。ここで紹介する2つのまえがきはフロイト著による「人間モーセと一神教」(吉田正己訳 日本教文社)の中にあります。まず最初のまえがきの一部を取り上げます。「われわれの研究が、宗教を人類の神経症に還元して、宗教の巨大な力をわれわれの患者の各個人にある神経症的強迫に対するのとおなじ方法で解明するという結果にわれわれをみちびくととすれば、われわれが、わが国の支配的権力のきわめてはげしい不興を招くことはまちがいない。」かつて発表したモーセに関する論文に終結部をつけ加えるために、これは1938年の3月より前に書かれたもののようです。さらに同年の6月にフロイトはもうひとつのまえがきを書いています。この時は故郷オーストリアからイギリスに亡命して、同地で書かれたものであるのが次の一文で分かります。「もはや外からの妨害は全くない。すくなくとも恐怖にしりごみするのもむりからぬような妨害は見あたらない。この国に滞在して何週間もたたないうちに、私は歓迎の手紙を無数にうけとった。~略~こうした手紙を寄せて下さった親切な人たちは私についてあまり知るところがなかったのであろう。だがしかし、このモーセについての論文が翻訳をとおして、私の新たな同国人たちに知られるようになれば、それ以外の多数の人たちのあいだで、目下私に寄せられている同情は失われることになるだろうと思う。」フロイトは人生の終焉にあっても、さらに社会情勢を鑑みて安全安心を得たいと思う一般人とも異なり、学者としての姿勢を崩すことがなかったと思えます。