上野の「カラヴァッジョ展」
2016年 5月 26日 木曜日
カラヴァッジョの肖像を描いた1枚の絵があります。見るからにアクの強そうな風貌ですが、没後に描かれたものらしいので、真実を伝えているものかどうか定かではありません。画家カラヴァッジョは、殺人の罪を犯したエピソードがあり、波乱の生涯を送った希有な画家と言えるかもしれません。東京上野の国立西洋美術館で開催されている「カラヴァッジョ展」には、教会に収まっていて移動不可能な絵画以外の、多くのカラヴァッジョの作品が集められていて、見応えとしては素晴らしいものがありました。カラヴァッジョには素晴らしい芸術活動の他にどうしても暴力沙汰に関するエピソードが付き纏います。「その画家は図体の大きな20歳か25歳くらいの不良青年で、黒いあごひげをほんの少しはやし、小太りで、まゆ毛は濃く目は黒かったです。黒い服を着ていて身だしなみはあまりきちんとしておらず、黒い靴下は少し擦り切れていました。前髪はとても伸びていました。」これは1597年の床屋の供述です。図録には「2週間ほど仕事をしたと思えば、剣を携え、従者を伴って、勇んで1、2ヶ月気晴らしに出掛けるのである。そして、球戯場を渡り歩き、議論をふっかけては、大喧嘩を引き起こすのを常とした。だから、彼と付き合うことのできる者は極めて稀だった。」とあります。また「1606年5月28日日曜日のこと、~略~数日前、トマッソ-ニ家がこの地区の顔役として大手を振っていることが原因で喧嘩をしたカラヴァッジョとラヌッチョは、この日の晩、決闘に及んだのである。ラヌッチョが倒れ込むと、カラヴァッジョは足(太腿)に致命傷を与えた。自身も傷を負った画家は逃亡し、ローマから消えた。~略~その後彼は逃亡と待ち伏せ、大胆な脱出に彩られた4年の亡命生活を送り、1610年7月18日にポルト・エルコレの病院で最期の時を迎えるのである。」という記述がある通り、カラヴァッジョの生涯は殺傷事件にまみれた波乱に満ちたものだったようです。しかし、芸術作品になると、逃亡生活をしていたと思えない静謐で荘厳な雰囲気が漂い、深い闇の中から立ち現れてくる物語に、暫し足を止めて見入ってしまうような表現力があります。絵画についてはまた別の機会に感想を述べたいと思いますが、たかだか画家として活躍した10年間に残した数々の作品は、今も鑑賞者の心を捉えて離さない圧倒的な魅力に溢れているのです。