「機知」のメカニズム
2016年 1月 28日 木曜日
現在読んでいる「フロイト入門」(中山元著 筑摩選書)の第二章「忘却と失錯行為」のまとめを行いますが、先日「遮蔽想起」についてNOTE(ブログ)に書いたばかりなので、それに続く「機知」について気に留めた箇所を選び、それをもってまとめとしたいと思います。文中から引用します。「(フロイトが刊行した)『機知』という書物は、『日常生活の病理学』とは異なり、失錯行為のように、無意識の現象を分析する書物ではない。むしろとくに活発な意識の働きが必要とされる意図的な行為についての考察である。それでいてフロイトは、意図して他人を笑わせようとする機知の行為にこそ、言い間違いと同じような無意識の働きが作用していることを明らかにしていく。」本書では、これに続きジョークやウィット、アイロニー、ナンセンスといった普段私たちが接している言語表現に対して、フロイトの解釈を加えています。さらに、こうした機知がどのように生まれ、享受されるのかというメカニズムが説明されています。「(心的な抑圧の原因として)語る相手の権力にたいする遠慮であることも、機知に頼るほうが効果が大きいという計算であることも、自虐的なあきらめである場合も、本人が克服できない困惑であることもあるだろう。」そこに第三者の存在も想定されています。「それでは第三者は機知をどのように楽しむのだろうか。フロイトは、機知の言葉を耳にすると快感がえられることを指摘しながら、『そのような快感の獲得には心的消費の節約が対応する』と主張している。」という文中の多くの引用記載をもって、まとめにするのはあまりに雑駁すぎて忍びないのですが、一応ここで区切りにしたいと思います。第三章はいよいよ「夢解釈」が登場してくるので、楽しみながら読んでいきたいと思います。