映画「消えた声が、その名を呼ぶ」について

橫浜のミニシアターにはレイトショーがあって、勤務時間終了後に間に合う時間設定がされています。ウィークディでも仕事が終わってから、映画を観て非日常空間に浸ることが出来るのです。先日夜にシネマジャック&ベティに表題の映画を観に行きました。家内が同伴してくれて、上映後に感想を話し合いました。内容からして社会問題を満載した背景が伺えますが、家内は国を跨ぐロケーションの美しさに興味を示していました。映画は時を遡ること100年前のオスマン・トルコ内で起きたアルメニア人の集団虐殺(ジェノサイト)に物語の端を発し、引き裂かれてしまった家族を描いています。主人公は奇跡的に生き延びることが出来ますが、喉を切られ声を失います。隣にいた兄は殺されてしまいました。彼は灼熱の砂漠を彷徨い、再び戻った故郷は無残な収容所になっていて、義姉の変わり果てた姿と妻が亡くなった事実に絶望します。やがて戦争が終わり、石鹸工場に身を潜めていた主人公は、そこで双子の娘がまだ生きている知らせを受けて、愛娘を捜す旅に出るのです。遊牧民、売春宿、孤児院を隈なく捜しながら、国を渡り、娘達の足跡を追っていきます。船でキューバに渡り、さらにアメリカへ。主人公を突き動かしていたのは親子愛そのものです。その思いが報われるのかどうか、映画は終盤を迎えます。これはアルメニア人の悲劇的な宿命を描いた映画ですが、監督はアルメニアと現在も国際論争になっているトルコの出身で、タブーとされた事件を扱っているのです。現在のトルコが歴史の事実を直視するようになったことと、監督の言葉にある「私がテーマを選んだのではなく、テーマが私を選んだ」ことが、撮影に7年間もかけた本作の制作動機になったことと思われます。私は30年前に家内とトルコ国内を2ヶ月かけて旅したことがあって、ロケーションが実際の空気感をともなって自分に迫ってくる感覚を持ちました。遠い世界の話ではないと自分は実感し、隣国との関係が困難になっている状況は、日本に限らずどこでも同じと思いました。

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