「夢解釈」導入へ向かう前書き
2015年 6月 22日 月曜日
「夢解釈」(フロイト著 金関猛訳 中央公論新社)上巻を読み始めました。今まで読んできた哲学書と異なるところは、これは精神分析や脳科学といった医学に関する書籍であること、つまり著者には特定の患者がいて、それら実例を基にした類の大著であることです。私は文学臭の強い具象彫刻を専攻したことで、あまりにも自分とかけ離れた分野として理数医系を考えてきましたが、フロイトは科学者であり、その分析が人間の心に向けられたことで、まず思想家として興味を持ちました。その影響力は20世紀を束縛し、後世に多大な知的遺産を残しました。そこまで本書が大きく多義にわたるとすれば、医学と哲学との共通項もあると見ていいでしょう。そうした連帯性が自分をして「夢解釈」を読もうと決意させた所以です。「夢解釈」はその導入に向かう前書きが訳者によって書かれていました。フロイト自身のこと、患者や親戚を含めた周囲の人々のことが本書に登場するため、その解説を加えることで、この大著を多少なりとも平易にしているのではないかと察しています。「夢解釈」はどのようなものか、訳者の解説から拾ってみたいと思います。「自己分析に基づいて執筆された『夢解釈』はフロイトの自伝でもある。夢の分析は夢見た者の幼児期からの歴史を暴く。『夢解釈』は厳密な科学書であるとともに、また著者の私生活が書き綴られるというきわめて特異な性格をそなえる。フロイト自身、この著作において『内密にしていた多くの私事を公にするという犠牲を払わねばならなかった』と述べる。~略~読者には、フロイトの『私事』に付き合い、その生活における『細々とした些事』に関心を向けることが求められる。しかし、それがフロイトの方法論の基盤であり、夢を理解するための出発点となる。」