「余白の芸術」読後感

「余白の芸術」(李禹煥著 みすず書房)を読み終えました。「もの派」の先鋒的芸術家である李禹煥の造形的な思索から、現代美術全般にわたる評論に至るまで、時に濃密な論考だったり、また散文だったりする文章を一冊にまとめ上げたのが本書です。李禹煥が主張する開かれた芸術にそのまま正対するなら、自分の作品は甚だ近代美術的で閉ざされた自己完結性を持っていると言わざるを得ません。自分も場を意識することはありますが、あるがままをアルガママにするほどに至っていません。「作品を見る面白さは、呼応すること、出会いにある。そのために作品の姿形を媒介項にして、辺りが開かれた空間となり、そこがなんらかの超越感を呼び起こす場であってほしい。~以下略~」本書の中から、李禹煥ワールドを成立させているキーワードを選びました。さらに彫刻を成立させる条件の引用をもって、まとめに代えたいと思います。「彫刻は環境造成物ではない。彫刻は、物を用いて、多くの人々の手を借りたり周りの環境と関係を切り結ぶことがあるにしても、さしあたってはひとりの作家の非日常的なコンセプトや観念的な行為を媒介にするものである。そしてそのコンセプトと作家の用いる物がきっかけとなり、より遠くの空気を呼び込んで、一つの曖昧できわどい解放区をもよおすこと。つまり外部の浸透を受け入れつつも内部のものを発散して外部に影響をおよぼすという不確定な隔たり、そこだけ両義的な空間が出来るということだ。これは彫刻が、開かれていながら自らの拘束性を持つ矛盾した場所であることを意味している。環境装置や空間ディスプレイと彫刻の違いはここにある。彫刻は周囲の空間を含めて一つの作品領域を形成するのである。」

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