石と空間の関係考察

「加工しないままの一個の石を自然から借用し、展示場に運ぶことから始める。(これは、東洋人の庭の石とか、擬人化した石のオブジェとは全然コンテクストの違うものであり、無関係である。)石を鉄板とか空間と関わらせるなど、一定の手続きや設定を通して、外界との対話を試みるのである。透明なものと不透明なもの、作ることと作らざることを関係づけることが、私の仕事なのだ。~略~」という文章が「余白の芸術」(李禹煥著 みすず書房)にありました。自分の亡父が石庭を作った思い出を先日NOTE(ブログ)にアップしましたが、作庭と李禹煥ワールドには大きな隔たりがあることが判明して、今回表題のような内容を考えることにしました。「枯山水」(重森三鈴著 中央公論新社)にも亡父の作庭の歴史的根拠があって、石と石が響き合う空間が表されていましたが、李禹煥の彫刻は石庭という概念から離れたもので、素材に対する認識と同時に空間の認識も異なるようです。素材をモノとして扱い、空間の関係づけを行う彫刻は、素材を空間形成の一部として扱い、一幅の絵画のように見せる石庭とは、似て非なるものと言わざるをえません。当然余白の概念も変わってくるものと理解しました。

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