終焉を受け入れる感覚
2014年 1月 29日 水曜日
人生に必ず死が訪れる運命を、人はどんなところで受け入れるのでしょうか。自分の若い頃は、墓参りや葬儀の参列が嫌でたまりませんでした。線香が立ち込める寺院の雰囲気に馴染めなかったのでした。不思議なことに父が亡くなってから、父が葬られている菩提寺に行くと心が安らぐようになりました。自分の周囲の人たちの葬儀にも退屈を感じなくなり、むしろ心が落ち着き、リラックスしている自分に気づきます。加齢のせいでしょうか。それとも何か説明のつかないものが存在しているのでしょうか。死ぬことを受け入れるために芸術や哲学があると自分は信じ始めていますが、死生観という確固たる理論ではなく、それは根拠のない感覚のようなもので、終焉を受け入れるということをイメージしているのかもしれません。80代後半に差し掛かる母は、脚が悪いにもかかわらず、墓参りには行きたいと言っています。そこに行けば気持ちが落ち着くのでしょうか。自分はまだそこまでいきませんが、母に誘われて墓参りをするのは苦ではありません。自分に僅かながら終焉を受け入れる感覚が育っているように思えるのです。
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