今年も母校の芸祭訪問

芸祭(ゲイサイ)というと、何とも独特な響きと雰囲気が自分にはあります。相原工房に出入りしているスタッフが、自分の母校で学んでいるおかげで、今年も母校の芸祭(学園祭)に行きました。創作活動またはモノ作りに関わっている大学だけに、自分には母校への思いが今もあるのです。習作に苦しみ、芸術の魔力に憑りつかれてしまったあの頃の自分。当時のキャンパスには、出発点になった何かがその場所に在るのです。それは未練ではなく自己表現の原点とも言える何かです。最近になって彫刻棟が新しくなり、自分が居た場所が消えてなくなりました。それでも彫刻家として出発した心の場所は残っています。新しくなって充実した彫刻棟の設備を見るにつけ、つくづく羨ましいなぁと思います。作りかけの大きな木彫作品がゴロゴロと置いてありました。絵画棟や工芸工業デザイン科も見てまわりました。案内してくれた子はテキスタイルの大きな染めの作品を工芸工業デザイン科と五美術大学展の2箇所に展示していました。とても頑張っている様子が窺えて自分も嬉しくなりました。昨年も書きましたが、これだけの環境を整えた大学で学んでいる学生は、どのくらいの人が満足できる進路を選択できるのでしょうか。アーティストになりたい学生はどのくらいいるのでしょうか。またデザイン界に夢を託す学生はどのくらいいるのでしょうか。自分にとって大学生活は夢幻の如く過ぎていき、自分は学生と社会人のギャップに精神を病むほど悩んでしまいました。現在の学生作品には才能溢れる作品も少なくありません。芸術文化を支える人になってほしいと思う学生もいます。夢を諦めずに創作を続けてほしいと願うばかりです。

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