西洋の没落「アラビヤ文化の諸問題」そのⅠ

「西洋の没落」(O.シュペングラー著 村松正俊訳 五月書房)の第二巻を読んでいます。第3章「アラビヤ文化の諸問題」そのⅠとした副題は「歴史的仮晶」で、仮晶という言葉の定義が本書の冒頭で述べられています。「自分が歴史の仮晶と名づけているものは、外国の古い文化が土地の上にきわめて強くおおいかぶさっているために、この土地に生まれた若い文化がじゅうぶんに大きくならず、そうして自己の表現形態を形成することができないのはもちろん、その自己意識を完全に発展させることもできない場合をいうのである。」この「歴史的仮晶」で気に留めた箇所は、宗教の興亡に関するところで、とりわけキリスト教がどのような変遷を辿ったかに関心を持ちました。キリスト教の第一歩であるイエスに関する箇所を選び出します。「これらの最後の時においてさえも、かれは全然自己自身の黙示録的世界像のなかに生きていた。かれは自己の周囲にそれ以外の世界を実際に見たことはなかった。かれの下に哨兵に立ったローマ人にとって現実と思われたことは、かれにとっては救いのないおどろきの対象であり、思いもよらず虚無に帰するかも知れない幻影であった。かれは都市のないいなかの純粋な、純真な魂を持っていた。都市の生活、都市的意味における知性はかれにはまったく未知のものであった。かれは自己が人間の子としてはいっていったなかばギリシャ・ローマ的なエルサレムを実際に見、そうしてその歴史的本質を理解したであろうか。かれが自己とともに生じつつあったことを全然知らなかったということ、それは事実と真実との衝突であり、たがいに決して理解し合わないであろうところの二個の世界の衝突であり、最後の日の感動的なことである。」まもなくイエスが十字架にかけられ、やがて聖書が現在のカタチになるまでの後裔とも言うべきパウロ、マルコ、マルキオンらの歴史を絡めた編纂に興味が湧きました。

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