西洋の没落 「ファウスト的自然認識とアポルロン的自然認識と」

表題は「西洋の没落」(O.シュペングラー著 村松正俊訳 五月書房)第一巻の最終章です。この章に副題はなく、これが第一巻全体のまとめになっています。ようやくここまで辿りつきました。表題にあるファウスト的~とアポルロン的~は、先日NOTE(ブログ)にも書いた通り、西洋史の中で根本概念が異なるものとして、その比較論が本書全体に亘って述べられていると言っても過言ではありません。また気に留まった箇所を抜き出します。「ギリシャ・ローマ的人間の『自然』は、裸体像をその最高の芸術的象徴としていた。それから当然生ずるものは体躯の静力学、すなわち近さの物理学である。アラビヤ文化に属するものはアラベスクと回教寺院の空洞状の丸天井である。この世界感情からは『哲学者の水銀』のような神秘的作用のある本質に関する観念とともに錬金術が生じた。『哲学者の水銀』とは物質でもなく性質でもないのであって、魔術的に金属という色彩的存在の基礎をして、そうして一金属を他金属に変えさせる力を有するものである。最後にファウスト的な人間の『自然』は、無限界空間の動力学、すなわち遠さの物理学を生じさせた。こうしてギリシャ・ローマに属するものは質料と形相との観念であり、アラビヤ文化に属するものは全然スピノザ的に、実体とその顕在的なあるいは秘密な属性との観念であり、西洋文化に属するものは力と質量との観念である。アポルロン的理論は静かな瞑想であり、マギ的理論は錬金術という『恩寵の手段』ーここでもまた力学の宗教的起源が認められ得るであろう。-に関する沈黙の知識であり、ファウスト的理論は最初からして作業仮説である。ギリシャ人は目に見える存在の本質を尋ね、われわれは『成ること』という目に見えない原動力を支配し得る可能性を尋ねる。前者はつつましく外貌のなかに沈潜し、われわれは無理にでも自然に尋ねる。すなわち方法的実験をなすのである。」この引用文では第一巻のまとめにはなりませんが、この遠大な本書を一言でまとめようとすれば自分の力不足を露呈する結果になります。もとより乏しき知識で読み始めた本書ですが、20代の頃よりは現在の方が多少なりとも論理に入り込める感覚が持てることが嬉しいと思います。第二巻も引き続き通勤の友にしたいと考えています。

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