西洋の没落「魂の像と生命感情と」そのⅡ

「西洋の没落」(O.シュペングラー著 村松正俊訳 五月書房)第一巻が後半に差し掛かりました。今月いっぱいで第一巻が読み終えるかどうかですが、第二巻も間髪を入れずに読んでいこうと思います。さて、今回「そのⅡ」としたところは「仏教、ストア主義、社会主義」という副題がついた箇所です。また、気に留めた箇所を抜き出して掲載いたします。「社会主義ー市井における意味ではなく、その最高の意味におけるーは、あらゆるファウスト的理想と同様に排他的理想である。この理想が通俗化したことは、その代弁者さえこれを完全に誤解したためだ。すなわち社会主義は義務の合計ではなくて権利の合計であるとされ、カント的無上命令の強化ではなくてその廃棄であるとされ、方向エネルギーの緊張であるとされたからである。」「ストア主義は未来と過去とに関係なく、あるいは他人に関係なく、個人の態度に向けられ、彫像的な、純然たる現在的存在に向けられた。社会主義は、この同じ主題を動力学的に取扱うのである。同じく防衛であるが、態度の防衛ではなく、生活の達成の防衛である。遠さに向かう強力な攻撃的推進をもって未来全体にひろがり、唯一の方法に服従すべき人間の全大衆にひろがってゆく防衛である。仏教とキリスト教とを比較することができるとするものは宗教研究のディッタレントに過ぎない。仏教というものは西洋の諸言語の言葉によってほとんど再現することのできないものである。ただストア的涅槃について論じ、ディオゲネスの姿を例にあげることは許される。社会主義的涅槃の概念もまたヨーロッパ的疲労が生存競争からの逃避を目差して、これを世界平和、人道および四海同胞等のような合言葉に託する限り、是認されるべきである。」

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