西洋の没落「音楽と彫塑と」そのⅠ

通勤中に「西洋の没落」(O.シュペングラー著 村松正俊訳 五月書房)を読んでいます。第4章は「音楽と彫塑と」いう題がつけられています。副題は「造形美術」。テーマからすれば自分が最も興味があるところですが、ここまでの本書の展開からいくと造形美術を広義な捉えとしていると考えられるので、その思索的な論理の理解に努めることにしました。この章は「高度の人間の世界感情は、数学的・自然科学的な表象範囲とその根本概念の象徴的意義とを別にすると、無数に存在している造形美術のなかに一番はっきりと、象徴的に表現されている。音楽もまたこの造形美術に属するものである。」という文章から始まっています。それは絵画や彫塑的芸術の領域から音楽が分離している現状を捉えなおし、ひとつの分野として論じられているのです。また、印象に残った箇所を選び出してみます。「16世紀になって、初めて西洋絵画に決定的な変化が生じた。北方における建築、イタリアにおける彫刻という補佐役は消滅した。絵画は対位法的に、『絵画的に』、無限のなかを浮浪するものとなり、色は音となり、絵筆の芸術は交声曲とマドリガルという様式の姉妹となる。油絵の技術は空間を征服しようとし、その空間のなかに事物を溶かす芸術の基礎となる。印象主義はレオナルドとジョルジョーネとともに始まったのである。このために絵画のなかにあらゆる要素の価値転換が生じた。背景はこの時まで無関心に描かれ、うずめるものとみなされ、空間としてはほとんど目から隠されていたものであるが、今や決定的な意義を獲得するようになった。一つの発展が現れてくる。~略~すなわちそれは、無限の記号としての背景が、感覚的に把握することのできる前景を征服することである。その結果、ついにファウスト的な魂の深さの体験を、絵画の動きのうちに捕えるようになった。」「…構図という重要な原理である。個々の事物は遠近法もなく、上下、左右、前後に、雑然と、すなわちその現実が空間の構造に依存していることを強調することもなしに、画中に表すことができる。(だからといってそういう依存性が否定されるとはいわれない。)こういうふうに描くものは、原始人と子供とであって、深さの体験が感覚的な世界印象を、より深い秩序に統一させるより以前のことである。しかしこの秩序は、根源象徴に応じてそれぞれの文化ごとに、異なったものである。われわれから見ると当然だと思われる遠近法的なまとめ方は、特殊な例であって、ほかの文化の絵画は承認もしなければ欲しもしない。エジプト芸術は同時的な出来事を、重なり合った列をして描き出すことを好んだ。こうして、第三次元は図の印象から除かれたのである。」

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