西洋の没落「大宇宙」そのⅡ

通勤中に「西洋の没落」(O.シュペングラー著 村松正俊訳 五月書房)を読んでいます。今回読んだ「大宇宙」の副題は「アポルロン的な魂、ファウスト的な魂、マギ的な魂」です。この3つの魂を定義している箇所を選ぶと「感覚的に現存している個体を拡がりの理想形としたギリシャ・ローマ文化の魂」をアポルロン的魂と呼び、「限界のない純粋空間であり、その『体躯』は十世紀のロマネスク様式の発生とともに、エルベ川とターホ川との間の北方平原に栄えた西洋文化」をファウスト的魂、また「アウグスツス時代に、チグリス川とナイル川との間、黒海と南アラビアとの間の地方に、目覚めたアラビア文化」をマギ的魂としています。これらを芸術分野やとりわけ建築に見られる様式移行等を使って対比させているのが本論の主なるところです。長くなりますが、気に留めた箇所を引用いたします。「模倣の最高の可能性は、音であろうと、詩句であろうと、絵であろうと、また演ぜられた舞台であろうと、みな一つの運命の模倣である。ところが装飾は時間を避けたもので、純粋な、固まった、残ったままの広がりである。模倣は自己完成することによって、何かを表現しているのに、装飾はできあがったものとして、感覚の前に現れることだけで、それができるのである。装飾はその起源がどうであろうと、それには関係がなく、ただ『あるもの』それ自身だけなのである。どんな模倣にもみな初めと終わりとがある。装飾には永続があるだけである。」「文明が始まると純粋な装飾は消滅し、それとともに大きな芸術一般が消滅した。過渡期を作るものは、どんな文化においても何かの形をした『古典主義とロマン主義』とである。古典主義とはもはや古臭くなり、魂の抜けた装飾ー規則、法則、様式ーに対する心酔を意味し、ロマン主義とは熱狂的な模倣のことである。ー生命の模倣ではなく、以前の模倣の模倣である。建築様式のかわりに建築趣味がある。絵画の方法、文学上のマンネリズム、新しい、また古い形式、自国的な、また外国的な形式が流行とともに移り変わる。内容必然が欠けている。めいめいがその好きなように、好きなところに主題を選ぶので、もはや何の『派』もない。芸術は工芸美術となる。」文化の没落を描いた箇所ですが、現代に通じるものを感じました。

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