「もの派」を考える

素材に何も手を加えず、ギャラリーの空間に放置する展示方法を自分はどのように考えるか、現代に至る造形思想史を辿れば、「もの派」の登場した背景がわかりますが、これを美術に関心の薄い人々はどう見るのでしょうか。もっとも私の非対象の造形作品にも説明を求めてくる人がいるので、「もの派」となれば物質と哲学を表裏一体にして提示する必要があるのかもしれません。昨日のNOTEに引き続き、「問いなき回答」(建畠哲著 五柳書院)から造形作家李禹煥について論じた部分を抜粋して「もの派」について考えてみたいと思います。「室内であれ野外であれ、李の作品はある位置を占拠するのではなく、むしろその場の時間と空間とを浸透させながら、同時に自然そのものへと解消されることのない、確かな強度を維持しているのである。それはまた自立した物体の示す即物的な存在感とも関わることのない強度である。『開かれた拘束性』と彼は言う。『出会いを呼び起こす』ためには『世界と解け合っていながら他のものと隔てられている、作品の二重性』が必要なのだ。それは自然石を作品の中へと構造化し、人工的な鉄板を同じ構造の中に放置するという、在り方の『ズレ』による世界の顕在化であると言えるかもしれない。そのズレによって、作品の構造は開かれ、”それだけで完結した”造形とは別の様相を美しく開示する。~略~」別の様相という在り様は自分にもよく解ります。かつて横浜美術館で見た「李禹煥展」で感じたことのひとつです。解け合うところと隔てられるところ。自分のその時受けた感覚を巧く説明できませんが、広がる自然な空間に凛とした隔たりをもって物質が存在している状態を感じ取ることがありました。それは「もの派」を自分の中に取り込めた瞬間だったのかもしれません。

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