「もの派」との出会い

自分が彫刻家を志した1970年代後半に、すでに「もの派」が登場し、素材をそのまま画廊に並べた展覧会を自分は美術雑誌で見ていました。当時その根拠とする思想を読み解こうとしていましたが、衝撃を受けたのは野外展に出品された関根伸夫の「位相ー大地」でした。自分が学校で学んでいる塑造とは、まるで異なる表現に戸惑いもありました。造形美術に対する根本的な解釈が違うと思っていました。自分はそうした現代美術の潮流を自分の中に取り込むことはなく、知識として取り入れても実際の制作では目を背けていましたが、当時はそんな自己造形思考の確立まで到底至っていなかったというのが本音です。早熟な学生仲間は「もの派」に近い制作を行ってはいましたが…。現在読んでいる「問いなき回答」(建畠哲著 五柳書院)に「もの派」に関する考察があります。「ヒエラルキーなき空間」と題された造形作家管木志雄の作品を論じたもので興味を持ちました。「人為的に素材に関わりながらも、それが世界の受容でも創造でもなく、『極限として在る状態』へのおきかえであること。つまりその『場』が『自然』と等価であり(同種異相の根であり)、なんら意味論的な葛藤をもたらさないこと。~略~管にとってインスタレーションとは、つねに具体的な認識の場そのものである。それは造形でもなければ観念的な遊戯でもなく、また物質の力におもねることでもない。彼が囲うとき、その思考とともにある現実が可視化され、彼が繋ぐとき、ある現実がその位置、その方向、その強度を定められる。それはわれわれの目にヒエラルキーなき空間として開示されるはずである。」

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