「擬似幾何学的」なブランクーシ

現代彫刻の父ブランクーシに関する文献に出会うと不思議な興奮を覚えます。NOTE(ブログ)にも何回か登場したブランクーシですが、自分は若い頃にルーマニアに何度か出かけ、木造民家の柱に見られる呪術的で抽象性を伴う浮き彫りにブランクーシの原点を見た気がしました。それ以来ブランクーシは自分の中で神格化した存在になっています。今読んでいる「問いなき回答」(建畠哲著 五柳書院)に「聖域の形態学」というブランクーシに関する論文があって興味をもって読みました。「ブランクーシの作品の大半が動物や人間をモティーフにしていたのは事実だが、それらはいずれも極度に単純化されており、むしろ一般には『マシーン・エイジ』を反映した幾何学的形態の系譜の先駆とみなされているのである。~略~しかし台座の部分などを除けば、彼の作品に厳密な意味での幾何学的形態がほとんど見られないのもまた事実である。それは『擬似幾何学的』『擬似機械的』(シドニー・ガイスト)であり、つねに多少なりとも歪みをはらんでいるのだ。ロザリンド・クラウスはこの問題について興味深い観察をしている。『この変形はほんのわずかなので、幾何学的なボリュームの全体としての特性、本質的に分析しえない単元的な特質を乱しはしない。…それにもかかわらず、この変形は、純粋幾何学の絶対領域の外へとそのボリュームをねじ曲げ、多様にして不確定な偶然性の世界のなかに居座らせるのに十分な力がある』。つまりクラウスには『ブランクーシはつねに、幾何学的形態の絶対性を修正しなければならぬ特定の状況における彫刻の意味を明言しているように見える』というのである。」ブランクーシの一見幾何学とも見えるカタチが多少の歪みによって彫刻としての存在を明らかにしているように自分も思えます。自分の作品にも擬似幾何学的なカタチをもつものも少なくありません。自作に置き換えるのは無謀ですが、論文のこの部分に妙に親近感をもった次第です。

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