無作為を装う美

人の手業によることを感じさせず、あたかも自然が作り出したような造形。陶芸作品によく見られる傾向で、釉薬の流れや成形の歪みが珍重されたりします。人為を隠した美は、隠すことも計算に入れて「作りこまない」技巧を追求しているように思えます。「作りこまない」というのは、「作れない」というものではありません。技巧が稚拙であれば「作りこまない」まで到達できない、つまり完全に「作れる」技巧を持って、初めて「作りこまない」技巧が生まれると考えます。「すべて作りこんだ」ものには説明的要素が入ってしまって、鑑賞する側のイメージを掻きたてないように思えます。鑑賞する側が、その作品についてその人なりのイメージが持てること、非対象な造形に自己の感覚を投影し、自分なりの解釈を成立させられるもの、そんな作品が昔から日本人の心を捉えてきたのではないかと推察しています。自分の作品に置き換えて考えることは現状では難しいのですが、そんな美の在り方について頭に片隅に入れておきたいと思うのです。

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