表現主義の時代

1980年から85年までの5年間、オーストリアに暮らしていた自分は、古都ウィーンの前々世紀から変わらぬバロックの燦然たる景観に、時として愛着を感じていました。これはドイツ表現主義の時代でも、変わらぬ空気をもって街が存在していたのではないかと、生活しながら感じられたことのひとつです。果たして1910年から20年頃のドイツは、実際にどんな雰囲気をもっていたのでしょうか。自分は渡欧前からドイツ表現主義に魅かれていましたが、ドイツ語圏の国に住んで、その思いは一層強くなりました。「ブラウエライター(青騎士)」や「ブリュッケ(橋)」といった表現主義のグループは、どんな環境の下で、また街とどんな関わり方をもって創作活動を展開していたのでしょうか。街はどんな気運に包まれていたのでしょうか。時間旅行が可能ならば、自分はその時代に飛んでみたいと思います。ナチスが台頭してきて、表現主義は「頽廃芸術」としての烙印を押されますが、逆に当時の「頽廃芸術」展には、何と時代を先取りした革新的な作品が集められていたことでしょう。願わくば「頽廃芸術」展が見てみたいと思うのは私だけではないはずです。ドイツが美術界でエポックを迎えたというのに、政治によって弾圧された時代。その悲痛な叫びが自分の心を捉えていると感じます。

関連する投稿

  • 「神と人を求めた芸術家」 表題はドイツの近代彫刻家エルンスト・バルラハのことを取り上げた「バルラハ~神と人を求めた芸術家~」(小塩節著 […]
  • ドイツの近代彫刻家 数年前、東京上野にある東京藝術大学美術館で、ドイツの近代彫刻家エルンスト・バルラッハの大掛かりな展覧会がありました。春爛漫の季節に美術館を訪れて、バルラッハを堪能したのですが、自分が初めてバルラッハ […]
  • 創作絵本「ウド」の思い出 学生時代、彫刻を学ぶ傍らビジュアルな表現に興味を持ち、手製の絵本を作りました。当時好きだったドイツ表現派のモノクロの木版画を発想の源にして、数ページにわたる創作話を考え、文字のない絵本にしようと企画 […]
  • 若かりし頃の貧乏旅行 「保田龍門・保田春彦 […]
  • 「言語都市・ベルリン」を読み始める 「言語都市・ベルリン」(和田博文・真銅正宏・西村将洋・宮内淳子・和田佳子共著 […]

Comments are closed.