詩画混在のJ・ミロ
2010年 11月 29日 月曜日
象形文字のように単純化された形態をもつジョアン・ミロの絵画には、日本の前衛書道に共通する余白のセンスがあります。余白は空間であり、そこに平面でありながら立体としての空間を感じるのは私だけでしょうか。ミロには具体的なモティーフがあります。星や鳥や女というようなモティーフで、それらを形象化して生命を宿しているようにも思えます。さらにミロのモティーフの中に実際の詩句を書き込んだものがあり、文字と絵画の境界を超えた表現になっています。言わば詩画混在。「ミロと中国絵画との類似点は、かれがカンヴァスのなかに詩の一節をさえ書き込んでいることであって、これは極東の高名な鑑識家たちが好んで巨匠の軸に詩の讃を書き加えながら、ほとんど全体の構図を妨げていないのを想い起こさせる。」(ジョルジュ・デュテュイの言葉「中国の神秘思想と近代絵画」より抜粋)コトバに興味関心のある自分には、こうした表現に羨望を感じるのです。ミロの無邪気とも素朴とも感じ取れる絵画は、鋭利な感受性が覗いていて観る人を惹きこむ要素になっていると思います。
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