未完の素材が点在する場所

昨日書いたイサムノグチ庭園美術館について再び取り上げます。庭園美術館にある石材が林立する空間に、自分は刺激を受けただけではなく、自分のその後の人生設計を変えさせられたといっても過言ではありません。彫刻庭園にある石材は全て未完に終わっている彫刻作品です。イサムノグチは晩年の20年もの間、ここで制作をしました。石材を点在させておいて、作品の周囲を回りながら彫っていたと聞いています。未完の美しさを知りえた老彫刻家だけが許される世界です。自分はそんな彫刻庭園とその作者に羨望を抱きました。晩年はこうでありたいと願ってやみません。未完の美しさは余裕の成せる業で、未完作品の林立する空間は未完のままではないのです。作り過ぎない微妙なバランス。空間全体を見据えた大きな造形感覚。いつ作者が鏨をおいても鑑賞に値する作品群。そうしたセンスはどこから生まれるものなのでしょうか。彫刻の置かれる空間の奥深さに彷徨いながら、自分もやってみたい意欲に駆られています。これが人生の最後の到着点でありたいと思います。

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