「この世はぼくを捉えようもない」
2008年 11月 26日 水曜日
昨日に引き続き、クレーの詩集から感じたことをブログにまとめます。「この世はぼくを捉えようがない。死者たちや、生まれてもいない者たちのところでちょうどよく暮らしているのだから。創造の中心にふつうよりちょっと近く。でもまだ十分に近くはない。」このクレーのコトバはかなり印象的です。生や死を超えたところにある居心地のよい(と勝手に感じているのですが…)世界に住んで、何かを発信しているような感覚をもちます。非日常の中に自分を持ち込まなければ、創造行為は出来ません。世間で言う「浮いた存在」ですが、世間を洞察する目だけはしっかり持って、モノに対する考え方や感じ方を提示(表現)できなければ、単なる浮いた存在で終わってしまうのかもしれません。自己満足を周囲が認めてくれれば、それは芸術として成り立ちます。ましてや造形思考に共感してくれれば、芸術家として成功したと言っても過言ではありません。クレーのコトバにはそんな刺激を含んでいると思っています。 Yutaka Aihara.com
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Tags: コトバ, 芸術家
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