「麻田浩展」で感じたこと

京都の話題が続きますが、京都国立近代美術館で開催されている「麻田浩展」を先日見てきました。この細密な幻想絵画をどこかで見た記憶があります。大きな展覧会だったかもしれません。没後10年と副題にあったのが驚きでした。そんなことつゆ知らず、絵画を見ているとまだ旺盛な活動を展開しているような気がします。絵画が現代、いや現在に繋がっていると錯覚しそうなくらい新しい雰囲気を漂わせているからです。自分もかつてウィーンに滞在し、幻想絵画に親しんできました。当時から日本人の中にも優れた画家がいて、日本人特有の幻想絵画を築いています。それは「水」であったり、「自然」であったりします。「麻田浩展」を見て感じたことは、日本人あるいは京都という風土が生んだ幻想空間が現れていたことです。そこに郷愁は感じませんが、風土を感じ取ることができました。

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