詩集「ミロそしてミロ」

昨日、文筆家の笠原実先生から「ミロそしてミロ」という自作の詩集が送られてきました。まさに文字通り自作の詩集で、30部限定の私家版でした。これは我が家の家宝です。内容も家宝に値します。私もブログで幾度となく書いているように現代詩に興味があり、学生時代は彫刻に目覚めるまで詩作を繰り返していました。詩にするにはあまりに粗末な感覚、語彙力で途中で放棄していたのでした。それがこのHPを作るにあたり、コトバを彫刻と並列(付け加えではありません)することになり、拙い詩作が再び始まりました。そこへこの「ミロそしてミロ」。う〜ん、先にやられてしまったと正直思いました。「ミロそしてミロ」は谷川俊太郎の「クレーの絵本」を彷彿とさせるものでコトバが絵画の感覚を掴み取っています。これは解説や評論ではありません。詩人の中には美術評論家も多く、評論する前に詩心で美術作品に接しているのかもしれないと思っているのですが、笠原先生が私の彫刻を批評してくださる時も、この感覚で書かれた一文だと確信しました。「笑覧いただければ〜」などというお手紙が添えてありましたが、とんでもないことです。これでしばらく勉強させていただきます。

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