下宿の引越し

ベートーベンは生涯50数回も引越ししたと言われていますが、それほどではないにしろ自分もヨーロッパでは数回の引越しを経験しています。初めはドイツのバイエルンにある全寮制の語学学校、次に語学学校のクラスメートでウィーンまで同行した韓国人女性が見つけてきたウィーン大学の学生寮、さらに14区ペンツインガー通りに間借りした部屋、次に邦人画家が紹介してくれた5区のアルバイター通りのアパートで台所とシャワーがついていました。最後に新日本フイルの楽団員が住んでいた10区のプッフスバウム通りのアパートで台所と大きな風呂がついていました。このプッフスバウム通りのアパートには4年間住んでいました。下の階に管理人夫妻が住んでいて、旦那さんは第二次大戦で片目を失ってしまったんだと言って、ヒットラーを憎んでいました。先日のブログに書いた平織り絨毯を張り巡らせて住んでいたのはこのアパートでした。

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