空間演出という概念

立体作品は作られた物質だけでなく、周囲の空間をも作っているという概念をもったのは海外での生活体験からでした。日本の大学で彫刻を学んでいた頃は、彫刻そのものの構造や量感を捉えるのが精一杯で、その彫刻が置かれる場所や置かれたことで周囲に与える空間の変容なんて考えられずにいました。ヨーロッパの街づくりに見られる公共広場での彫刻の役割、または室内空間に置かれた彫刻の床や壁との関係は、自分に立体作品をもう一度考えさせる絶好の機会を作ってくれました。汚れた壁を絨毯を張って演出したり、壁紙を張り替えたり、漆喰を塗ったりすることと自分が学んでいる彫刻は決して切り離した存在ではなく、空間演出をする要素としては同じであり、すべてが自分の世界感として統一したものでなければならないという概念です。そんなことを考え始めてから、作品を作るときは周囲のことまでイメージして作り出すようになりました。

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