潤いのある土地で体感したこと

潤いと書くと好印象をもちます。たしかに日本庭園の瑞々しい緑を見ていると日本の風土が樹木を育てるのに肥えているのがわかります。父はそんな仕事をしていましたが、自分はこの仕事にあまり協力的ではありませんでした。敷石の並べ方、蹲の配置など面白いところもありましたが、ほとんど父や他の植木職人が刈り込んだ樹木の下に這いずって入り、落ちた枝や葉をかき集める仕事はつらいものがありました。土地が潤っているということは雑草も多ければ虫もいました。害虫に刺されることもしばしばありました。泥だらけになって作り上げる庭園に、心では美しさを感じることはあっても、身体では嫌気がさしていました。庭園を達観して楽しむには学生だった自分にはまだ先のことだったようです。

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