霊界と交信する夏

ドラマのようなタイトルを考えましたが、今日は父の四十九日の法要でした。実家は生前の父のものがすべて残されているので、たとえ今日を迎えたからといって父の存在をすぐ払拭できるものではありません。とくに造園の職人だった父は、植木の刈り込み鋏や木の枝を払う鉈や鋸が母屋と向かい合う倉庫にあって、これら愛着のあった道具にはやはり父の魂が宿っているように思います。畑にも植木がかなり残されています。いずれ何とかしなければと思いつつ、家業を継ぐことはなかった自分には大きな課題となっています。ただ造園と自分がやっている彫刻とは決して無縁ではないと思います。加えて祖父も大工だったことを考えると、霊界にいる祖先はきっとこんな自分の仕事を許してくれているのではないかと勝手なことを考えた一日でした。

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