Archives for posts tagged ‘ウィーン’

ウィーンに思いを馳せる日

昨晩NHKのTV番組からウィンナーワルツが流れてきました。恒例のオーストリア国営放送によるニューイヤーコンサートの模様を衛星で伝えていたのでした。1980年から85年までの5年間、自分はウィーンにいました。ウィーン国立美 [...]

クリスマス…工房にて

三連休の最終日はクリスマスです。20代の頃、欧州で迎えたクリスマスは今だ忘れられない思い出があります。たとえばルーマニアの寒村で樅の木で作られた素朴な教会に行ってルーマニア正教の儀式に触れたひと時。あるいはオーストリアの [...]

窯入れが始まると…

窯入れが始まると、出勤前の早朝に工房へ行き、窯内の温度を確認し、また仕事帰りにも工房に立ち寄っています。自動的にコントロールされる電気窯なのに、自分は温度が気にかかって仕方ないのです。自分の手の届かないところで作品化され [...]

「ウィーン工房 1903-1932」展

先日、表題の展覧会に行ってきました。場所はパナソニック電工汐留ミュージアム。この企業が経営する美術館は、企画に魅かれてよく見に出かけます。展覧会のアーカイブでは重森三玲の庭園設計や浜田庄司の民芸などが記憶に残っています。 [...]

創作絵本「ウド」の思い出

学生時代、彫刻を学ぶ傍らビジュアルな表現に興味を持ち、手製の絵本を作りました。当時好きだったドイツ表現派のモノクロの木版画を発想の源にして、数ページにわたる創作話を考え、文字のない絵本にしようと企画しました。題名は「ウド [...]

画家キルヒナーと戦争

20世紀初頭から第二次世界大戦のヒトラーの弾圧を受けるまで、ドイツは美術のエポックを迎えました。それがドイツ表現主義で、自分は学生時代から関心を寄せていました。まずコルヴィッツの版画が先陣を切って、自分の中に入り込んでき [...]

表現主義の時代

1980年から85年までの5年間、オーストリアに暮らしていた自分は、古都ウィーンの前々世紀から変わらぬバロックの燦然たる景観に、時として愛着を感じていました。これはドイツ表現主義の時代でも、変わらぬ空気をもって街が存在し [...]

「神と人を求めた芸術家」

表題はドイツの近代彫刻家エルンスト・バルラハのことを取り上げた「バルラハ~神と人を求めた芸術家~」(小塩節著 日本キリスト教団出版局)の副題になったコトバです。バルラハは最近日本でも徐々に知られてきた彫刻家であり劇作家で [...]

人体塑造からの転位 Ⅱ

先日のブログ「人体塑造からの転位」の続きです。現在自分の彫刻作品は、ロシア人画家カンディンスキーが提唱した非対象という意味で言えば非対象でも抽象でもありません。形態の基本となる要素を抽出している点では、確かに抽象化をして [...]

クリスマス・イヴの今宵

誰にも信仰の心はあると思っています。その信仰する心にカタチを与えるのが宗教ではないかと考えます。自分のように先祖が浄土宗仏教で冠婚葬祭を行っていて、何となく仏教が身近にあるだけという者もいると思います。とりわけ仏教に信心 [...]

クラシック音楽を聴く機会

20代の頃にオーストリアの首都ウィーンに住んで、リング(環状道路)沿いにある国立歌劇場に毎晩通っていました…と、書くと自分はいかにも文化意識が高く、経済的にも恵まれた、どちらかと言えば鼻持ちならない留学生に見えますが、実 [...]

喪中葉書を受け取って…

この時季になると喪中葉書が送られてきます。自分の年齢を鑑みると、本人ではなく、その関係者が多いのですが、たまに親交の厚かった本人であったりすると残念でなりません。自分が世話になった人が亡くなり、喪中葉書を受け取った時の何 [...]

解剖学受講の思い出

1980年から85年までオーストリアの首都ウィーンで暮らしていた自分は、都心の環状道路沿いにある国立美術アカデミーに籍をおいていました。そこの取得教科に解剖学がありました。日本の大学で彫刻を学んでいたにも関わらず、自分は [...]

骨にまつわること

今月のRECORDは「吊るす」というテーマでやっています。20日から今日までの5日間は、骨が吊るされているイメージをモノクロの作品にしてやっています。骨は人骨で、自分が滞欧中に購入した解剖学の書籍を参考にしています。今は [...]

「ウィーン工房」について

今夏、岐阜県高山市の美術館で見たウィーン工房の部屋。家具や椅子等の収められた空間に懐かしさを覚えました。自分がウィーンに滞在したのは1980年から85年までの5年間でした。ウィーンに行くまではウィーン工房の存在を知らず、 [...]

飛騨高山美術館へ…

台風4号の影響で予定していた世界遺産白川郷や五箇山の集落行きを明日に延ばしました。今日は雨の高山市内を散策することにしました。昔訪れた時にはなかった美術館を見つけ、そこに出かけることにしました。実は自分は観光地で新たに作 [...]

「ブリューゲル版画の世界」展

先日、東京渋谷のBunkamuraギャラリーで開催している「ブリューゲル版画の世界」展に行ってきました。猛暑の中、涼しい美術館で名画を鑑賞するのは贅沢な時間です。同じような考えを持っている人が多いためか展覧会は大変混雑し [...]

自分の中の音楽環境

過去のブログを読むと、音楽について書いている時期があります。自分の生育歴は音楽環境に乏しく、それでも両親は私と妹をピアノ教室に通わせていました。私は忽ち頓挫してしまい、それきり楽器演奏をやる機会を失いました。妹はピアノを [...]

山菜の天ぷら

職場の人から山菜をいただいたので、家内が天ぷらにしました。山菜は後味が良くて大好きです。余裕があれば、山菜を採りにどこかへ出かけたい気分です。20代後半に滞欧生活をしていて、銀行口座に貯金がなくなり、住宅の中庭(ホーフと [...]

記憶の底から…

昨日はエルンスト・バルラッハのことについてブログに書きました。今読んでいる「バルラッハの旅」(上野弘道著)で、自分の記憶の底に眠っていた滞欧生活のことが甦り、ウイーンの美術館にあったバルラッハの「復讐者」という作品が鮮や [...]

ドイツの近代彫刻家

数年前、東京上野にある東京藝術大学美術館で、ドイツの近代彫刻家エルンスト・バルラッハの大掛かりな展覧会がありました。春爛漫の季節に美術館を訪れて、バルラッハを堪能したのですが、自分が初めてバルラッハの彫刻と対面したのは、 [...]

ウイーン回想から始まる1年

昨夜、NHK番組からウィンナーワルツが流れてきました。恒例のオーストリア国営放送局が衛星で流している「ウイーン・ニューイヤーコンサート」の模様です。自分は毎年この時期にこの番組をブログで取り上げています。理由は1980年 [...]

芸術家宅を訪ねる随想

「瀧口修造全集1」に収められている「ヨーロッパ紀行」の中に、ダリを訪ねた時の随想が載っています。アトリエの中の描写やダリの人柄に、ほんの少しばかり親近感が持てるような気になります。スペインの海辺のアトリエは理想的な環境だ [...]

ピエロ・ディ・コジモ

ピエロ・ディ・コジモ。実は最近知りえた画家です。学生時代ばかりではなく、滞欧時代を通してもピエロ・ディ・コジモについて意識したことはありませんでした。ウィーンで暮らしていた頃に、フィレンツェを訪れていて、ピエロ・ディ・コ [...]

幻想画家論

ボッス、グリューネウァルト、ピエロ・ディ・コジモ、ラ・トゥール、ルドン、ゴーギャン、アンソール、ムンク、スーティン、クレー、エルンスト、デュシャン…「瀧口修造全集1」に収められている幻想画家論で取り上げている芸術家です。 [...]

渋谷の「だまし絵」展

昨年もブログを読むと同じような行動をしていますが、東京銀座で個展をやっている期間を利用して、東京の美術館を見て周る計画を今年もやります。国公立美術館は通常月曜日が休館日ですが、昨日「海の日」で開館していたため、今日を代休 [...]

墓参りで思うこと

母から連絡があり、近隣にある菩提寺に亡父の墓参りに行きました。母の夢の中に父が出てきたと言うのです。週末の制作をやや中断して母と家内とで菩提寺に出かけました。菩提寺である浄性院の庭は手入れが行き届いていて、墓地周辺も清潔 [...]

世紀末のアパート

21世紀の現在から言えば、20世紀末も19世紀末も同じ世紀末となります。表題は19世紀末を指しています。ひと昔もふた昔も前のことですが、この時代が情緒として生きている街がウィーンなのです。ウィーンは1980年から5年間自 [...]

ウィーン郵便貯金局

いつぞやのブログに書いた記憶のあるオットー・ヴァーグナー設計による郵便局です。ひょっとして同じ表題を使っているかもしれません。新潮社「奇想遺産」に掲載されていたので、また滞欧時代を思い出しました。「ウィーンの暗く重い街か [...]

ロースハウス

最近購入した新潮社「奇想遺産」。1980年から5年間暮らしたウィーンの街で毎日見ていた建物がロースハウスでした。「奇想遺産」によると出来上がった当時は市民のひんしゅくを買ったことがわかりました。バロック建築の街で、このロ [...]

カール・マルクス・ホフ

1980年から5年間住んでいたオーストリアの首都ウィーンでは、頻繁に地下鉄を利用していました。あの頃出来たばかりの地下鉄はとても奇麗でモダンでした。郊外のハイリゲンシュタットまで出かけた折、当時共産主義だった東欧でよく見 [...]