Archives for posts tagged ‘彫刻’

作家不在の工房の存在感

ロベール・ドアノー写真集「芸術家たちの肖像」の中で、工房だけが撮影されている頁があります。そこに作家はいません。ただし、文章で作家の存在が示されています。「そこはヴォージラール通りの裏手にある行き止まりで、緑が好き放題は [...]

風景の再構築

近隣を散策していると、かつて自分が小学校に通った小道が変貌していて、昔の見慣れた風景が思い出せなくなっているのに気づきます。住宅が密集し、かつての小道より大きな通りが横に出来ていて、ここまで変わってしまうと自分の記憶に自 [...]

週末の陶彫パーツ制作継続

週末は新作「構築~瓦礫~」のための陶彫パーツ作りに励んでいます。先週、手の込んだ陶彫パーツの成形が終わりましたが、今日も目立つ場所に置く陶彫パーツをもうひとつ作り始めました。集合彫刻としてパーツを数多く作り、その組み合わ [...]

意匠に思いを寄せて

現在、自分の創作と呼べるものは陶彫・木彫による彫刻作品とポストカード大の平面作品RECORDだけです。横浜市公務員という身分保障があって、週末だけで制作をしているのですから、これ以上は時間的に厳しいと言わざるを得ませんが [...]

プラスとマイナス

プラスというのは塑造(モデリング)のことで、可塑性のある素材を付け足して膨らませる造形方法のことです。マイナスというのは彫造(カーヴィング)のことで素材を彫ったり削ったりしてカタチを表す造形方法です。プラスの素材は主に粘 [...]

仕事帰りに工房へ

帰宅が夜7時頃だったので、自宅に帰る前に工房に寄りました。いつもより早い帰宅時間で気持ちに余裕が持てて、陶彫の焼成の具合を確かめようと寄り道をしたのです。日曜日の夕方に本焼きを始めて、20時間くらいで1230°になり、そ [...]

ニーヴェルスンの黒い箱

20世紀アメリカで活躍した女流彫刻家ルイーズ・ニーヴェルスンをどこで知ったのかよく覚えていませんが、それほど昔ではないような気がします。自分が大学で彫刻を学んでいた頃、ギャラリーせいほうが「現代彫刻」という雑誌を発行して [...]

マックス・ビルの造形

高校時代、美大受験のため通っていた予備校で、スイス人造形作家マックス・ビルの作品を知りました。自分はその頃、大学で工業デザインを学びたくて、受験用のデッサンや構成の勉強をしていました。バウハウスやその思想を継承したウルム [...]

イサム・ノグチの陶彫

「ノグチは陶器を彫刻として焼いている。すくなくとも彫刻家でなければ興味をもたない仕方で焼いているといってよいだろう。もちろん西洋流にいえばテラコッタ彫刻の伝統があって、そこから彼は一跨ぎで日本の陶器の世界にはいってきてい [...]

印のデザインを考える

新作には新しい印を彫って、それを押しています。とくにパーツで成り立つ集合彫刻では分解した時に、それぞれの作品のパーツがわからなくなる可能性があります。そこで新作には必ず新しい印を作って押すという習慣がつきました。陶彫の場 [...]

勤務の1年を振り返る

今年4月に職場が変わり、大所帯の管理職になりました。処理する内容が多く、4月からの数ヶ月は右往左往しながら夥しい書類を片付けてきました。組織がきちんと機能しているか、人事的な面にも気を配りつつ、日々有事に見舞われる勤務状 [...]

絵画の自由・彫刻の不自由

一日1枚の絵画作品、これが現在やっているRECORDです。大きさはポストカード大ですが、毎日イメージを搾り出してはペンと絵の具で絵画にしています。自分の厄介な性格のためカタチや構成に囚われることはしばしばあります。でも表 [...]

師匠からの電話

年の瀬になると、長野県に住む彫刻家池田宗弘先生に日本酒を贈っています。先日お礼を兼ねて電話をいただきました。一年一升の酒を楽しみに毎日制作をしているとのこと、こちらまで嬉しくなりました。長野県の聖高原はさぞや寒かろうと思 [...]

瀧口流「H・アルプ」論

瀧口流「○○」論は今日で最後です。シリーズにするつもりはなかったのですが、文中に興味関心の高い彫刻家が続いたので、つい一人ひとりを取り上げてしまいました。アルプは抽象的な有機形態を作る彫刻家で、ポピュラーな作家です。その [...]

瀧口流「I・ノグチ」論

「ノグチは西欧の環境で生活しながらも、たえず東洋に眼を向けている。数回にわたる東洋遍歴のみならず、彼の血液が力づよく誘うのであろう。が私たちの眼からは、それほど彼のある作品は東洋的と感じられないかも知れない。事実ノグチは [...]

瀧口流「A・コルダー」論

アレキサンダー・コルダーは空中に浮遊するモビルで世に知られた彫刻家です。自分の学生時代に見た美術雑誌に、コルダーの作業場の写真が掲載されていて、そこはまるで町工場のようなところでした。鉄の部品が所狭しと置かれている中、町 [...]

瀧口流「H・ムーア」論

愛読している「瀧口修造全集2」の興味関心のある箇所は、やはり彫刻家を扱っている章です。「ムーアにとって、何につけ自然のありかた、とくに生長の仕方に親しむということが必要なのである。自然の深い知識から、生きたリズムと自然の [...]

ピカソの陶芸の魅力

箱根の彫刻の森美術館に「ピカソ館」があります。自分にとって「ピカソ館」の目玉は、ピカソが加飾または絵付けをした陶芸の数々だと思っています。これは見応えのあるコレクションで、箱根に行く度にこの陶芸たちに会えるのが楽しみです [...]

「権鎮圭」の彫刻展

先日「河口龍夫展」に行った際、もうひとつ注目している展覧会が「河口龍夫展」と同じ東京国立近代美術館で開催されているので、併せて見て来ました。それは「権鎮圭展」。韓国籍で日本に留学して彫刻家としてスタートした権鎮圭は、具象 [...]

工房に籠もれる幸せ

今日から三連休です。月曜日はちょっと職場に顔を出さなければなりませんが、ともかく制作三昧の三連休がやってきました。今日は晴天で、工房の周囲にある木々は紅葉していて、青空に深紅や黄色の葉が映えていました。快い環境の中で、制 [...]

静岡県のロダン館

大学で彫刻を学び始めた頃、自分にとってロダン、ブールデル、マイヨールの3大巨匠は避けて通れないほど存在感がありました。最初に自分に影響を及ぼしたのはロダンで、勢いのある量感と動きに圧倒されていました。ロダンを師と仰いだ荻 [...]

「流政之作品論集」

彫刻家流政之を知ったのは高校生の時でした。書店で立ち読みした美術手帳に彫刻写真が掲載されていて、若かった自分はカッコいいなぁと思ったように記憶しています。美大の彫刻科に入って彫刻を本格的にやり始めた頃、西武美術館で「流政 [...]

今夏は「A・ブルトン&瀧口修造」

毎年夏になると何か課題を決めて勉強することにしています。義務教育で頭にすり込まれた夏休みの自由課題が今も続いている感じです。今まで「ジャコメッティ」や「ヘンリー・ムア」といった学生時代から親しんでいた彫刻家を改めて勉強し [...]

トロムソコラージュ

先日ブログに書店で手にとって捲った文章が忘れられなくなったと書きました。まさに谷川俊太郎著「トロムソコラージュ」がそれなのです。それは立ち読みから始まって、一旦書架に本を返した後、再び手に取り、結局購入となりました。表題 [...]

縄文土器への思い

新潟県に行ったことで、もう一度縄文土器を見に新潟県に来てみたいと思っています。十日町に多くの出土品があると聞いています。縄文土器を芸術として位置づけたのは岡本太郎ですが、自分も縄文土器の魅力に取り付かれている一人です。粗 [...]

「石」という素材

オーストリアのウィーンで暮らし始めた頃、生活費を稼ぐため石彫のアルバイトをしていました。ハンス・ムーアという彫刻家がウィーン郊外に工房を持っていて、彼のデッサンをもとに鏨や電動カッターで石を切り出す仕事でした。ハンス・ム [...]

「木」という素材

祖父が宮大工、父が造園業という環境で育った自分の周囲には木材が豊富にありました。でも木の美しさに触れたのは自分の生育歴からではなく、滞欧中に訪れたルーマニアのマラムレシュ地方に点在する木の家々を見た時でした。柱の抽象的な [...]

見せない彫刻

故若林奮先生の作品の中に、ほとんど土中に埋めてしまって僅かしか見えない彫刻があります。府中美術館の野外にある鉄の作品も上の部分しか見せていない彫刻です。それを見ると鑑賞者は唖然としますが、自分にはその考え方が多少理解でき [...]

若葉繁れる日曜日

今週末は倉庫を建てる予定地の畑を整理している業者や新しい窯に付随する電気関係の業者と様々な打ち合わせをもちました。亡父の残してくれた畑はキラキラした陽を浴び、鬱蒼と繁る若葉に溢れ、そこで打ち合わせをしていると穏やかな気持 [...]

「彫刻の呼び声」を読んで…

表題は峯村敏明著「彫刻の呼び声」(水声社)で、銀色一色のシンプルで現代的な装丁に魅かれて購入しました。彫刻とは何かを問う真摯な評論集で、時間をかけてじっくり読み込みました。一貫したテーマである「存在」を美術界の様々な状況 [...]

企画展のレセプション

ホテルの大広間を借り切って、「古代・現代 思索する手」展のオープニングレセプションがありました。スポンサーのNTT東日本の方々や美術館学芸員、博物館学芸員、画廊関係者、それに高崎市を中心に活躍する画家や彫刻家、工芸家、書 [...]