Archives for posts tagged ‘書籍’

作家不在の工房の存在感

ロベール・ドアノー写真集「芸術家たちの肖像」の中で、工房だけが撮影されている頁があります。そこに作家はいません。ただし、文章で作家の存在が示されています。「そこはヴォージラール通りの裏手にある行き止まりで、緑が好き放題は [...]

「余白に書く」を読む

表題の「余白に書く」というのは、「瀧口修造全集Ⅳ」の副題です。「余白に書く」とはどういうことだろうと思って読み始めました。「余白に書く」とは展覧会や公演に寄せた文章であることがわかり、その夥しい数の文章が「瀧口修造全集Ⅳ [...]

読書ができる貴重な時間

職場では管理職といえども雑用に追われる毎日で、こんな時に通勤時間帯や余暇に読書ができる幸せを感じます。本を読む、活字を追う行為から広がるイメージの世界は、自分が今まで蓄積したあらゆる体験や経験を駆使して構築したものです。 [...]

写真集「芸術家たちの肖像」

表題はロベール・ドアノー写真集「芸術家たちの肖像」(岩波書店)です。自宅の書棚には田沼武能写真集「アトリエの101人」(新潮社)、南川三治郎写真集「アトリエの巨匠・100人」(新潮社)があって、時折頁を捲っています。芸術 [...]

M・デュシャンの語録より

マルセル・デュシャンがガラスの大作「独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」を構想しながら書き溜めた「グリーン・ボックス」と呼ばれているノートがあり、その和訳可能な部分を翻訳したものを読み解いています。難解というより、 [...]

M・デュシャンを紐解く

現代美術に大きな足跡を残したマルセル・デュシャン。実は学生時代から避けて通ってきた巨匠の一人で、いつかはマルセル・デュシャンの全貌を理解したいと思いつつ、その謎に触れると思考の混乱を招いてしまうのです。自分の認識と言えば [...]

ニーヴェルスンの黒い箱

20世紀アメリカで活躍した女流彫刻家ルイーズ・ニーヴェルスンをどこで知ったのかよく覚えていませんが、それほど昔ではないような気がします。自分が大学で彫刻を学んでいた頃、ギャラリーせいほうが「現代彫刻」という雑誌を発行して [...]

イサム・ノグチの陶彫

「ノグチは陶器を彫刻として焼いている。すくなくとも彫刻家でなければ興味をもたない仕方で焼いているといってよいだろう。もちろん西洋流にいえばテラコッタ彫刻の伝統があって、そこから彼は一跨ぎで日本の陶器の世界にはいってきてい [...]

舞台美術への憧れ

家内が美大の空間演出デザイン科に学んだ理由に舞台美術をやりたかったことがあります。自分も似たようなところがあって、自作の立体作品を舞台にのせ、照明や音響を導入した総合芸術をやってみたいと考えていた時期があるのです。それは [...]

キュビズム創始者ブラック

ピカソとともにキュビズム創始者であるジョルジュ・ブラックについては、今まで特に大きな関心を持ったことはありませんでした。もちろんブラックの代表的な絵画はすぐに思い起こすことが出来るし、キュビズムが近代美術に与えた影響の大 [...]

今年の読書について

昨年からずっと読んでいる「瀧口修造全集」の読破が、さしずめ今年の読書目標です。昔どこかで読んだ評論が全集に掲載されていると、若かった頃を思い出して懐かしく感じます。でも当時はわかっていたような、わかっていなかったような気 [...]

瀧口流「H・アルプ」論

瀧口流「○○」論は今日で最後です。シリーズにするつもりはなかったのですが、文中に興味関心の高い彫刻家が続いたので、つい一人ひとりを取り上げてしまいました。アルプは抽象的な有機形態を作る彫刻家で、ポピュラーな作家です。その [...]

瀧口流「I・ノグチ」論

「ノグチは西欧の環境で生活しながらも、たえず東洋に眼を向けている。数回にわたる東洋遍歴のみならず、彼の血液が力づよく誘うのであろう。が私たちの眼からは、それほど彼のある作品は東洋的と感じられないかも知れない。事実ノグチは [...]

瀧口流「A・コルダー」論

アレキサンダー・コルダーは空中に浮遊するモビルで世に知られた彫刻家です。自分の学生時代に見た美術雑誌に、コルダーの作業場の写真が掲載されていて、そこはまるで町工場のようなところでした。鉄の部品が所狭しと置かれている中、町 [...]

瀧口流「H・ムーア」論

愛読している「瀧口修造全集2」の興味関心のある箇所は、やはり彫刻家を扱っている章です。「ムーアにとって、何につけ自然のありかた、とくに生長の仕方に親しむということが必要なのである。自然の深い知識から、生きたリズムと自然の [...]

ピカソの陶芸の魅力

箱根の彫刻の森美術館に「ピカソ館」があります。自分にとって「ピカソ館」の目玉は、ピカソが加飾または絵付けをした陶芸の数々だと思っています。これは見応えのあるコレクションで、箱根に行く度にこの陶芸たちに会えるのが楽しみです [...]

「権鎮圭」の彫刻展

先日「河口龍夫展」に行った際、もうひとつ注目している展覧会が「河口龍夫展」と同じ東京国立近代美術館で開催されているので、併せて見て来ました。それは「権鎮圭展」。韓国籍で日本に留学して彫刻家としてスタートした権鎮圭は、具象 [...]

今年を締めくくる1ヶ月

12月になりました。毎年多忙な1ヶ月とブログに書いていますが、今年も同じです。新作の「構築〜瓦礫」の完成が見えないので、例年より厳しい感じを持っています。唯一強みなのは自分の工房が出来て、いつでも時間を気にせず作れる環境 [...]

横浜の「大乱歩展」

横浜の「港の見える丘公園」にある県立近代文学館で、江戸川乱歩の展覧会を開催しているので見てきました。美術展と違い、原稿やら書籍の頁をめくったところをガラスケースに入れて展示する文筆家の展覧会は、自分にはちょっと躊躇すると [...]

フォンタナのアトリエ

フォンタナは画布にナイフで穴を開けた作品で世界的に知られたイタリア人芸術家です。日本では中学校・高等学校の美術の教科書に、現代美術の旗手として掲載されています。今読んでいる「瀧口修造全集1」にフォンタナのアトリエに関する [...]

P・クレーに纏わること

愛読している「瀧口修造全集1」の中に、パウル・クレーに纏わることが出てきます。瀧口修造がパウル・クレーのご子息に会いに行き、そこで出会った様々なことが述べられていて、それらをとつおいつ読んでいるとその情景が広がります。自 [...]

芸術家宅を訪ねる随想

「瀧口修造全集1」に収められている「ヨーロッパ紀行」の中に、ダリを訪ねた時の随想が載っています。アトリエの中の描写やダリの人柄に、ほんの少しばかり親近感が持てるような気になります。スペインの海辺のアトリエは理想的な環境だ [...]

ひらがなの詩

ホームページを持つようになって、アップした画像の合間にコトバを書いています。学生の頃から詩が大好きで、自宅の書棚には今も学生時代に集めた詩集が眠っています。埃を叩いて、たまに頁をめくって、今の気持ちに合ったコトバを探しま [...]

「皇室の名宝」展

一昨日の上野の美術館(博物館)巡りの2館目。東京国立博物館で開催されている「皇室の名宝」展に行ってきました。駆け回った3館のうち一番混雑していたのが、この「皇室の名宝」展でした。展示されているのは有名な作品ばかり。皇室の [...]

「古代ローマ帝国の遺産」展

本来なら公立美術館(博物館)の定休日は月曜日なのですが、昨日は「体育の日」だったので、美術館は営業をしておりました。そこで、東京上野にある3つの美術館(博物館)に足を運び、上野で体験できる世界一周美術の旅に出かけました。 [...]

中国伝統楽器の夕べ

三連休最終日は制作を休んで、午前中は東京上野の美術館3館を駆け回り、午後は中国の伝統楽器の演奏会に出かけました。家内の知人で胡弓仲間の人が中国伝統楽器を独奏するというので、横浜の神奈川県民ホール(小ホール)に行き、二胡や [...]

工房に籠もり放し

三連休2日目。今日はボランティアの助っ人が来ないので、工房には自分ひとりです。朝6時半に工房に行って、昨日のうちに原形モデルが出来ている陶彫土台の石膏取りを行いました。9時に自宅から電話があって朝食に一旦帰り、また工房へ [...]

芸術家の生きざま

瀧口修造著「幻想画家論」に出てくる芸術家は、幻想的な作風を確立した人ばかりなので、その生きざまも常軌を逸しているようです。昨日ブログに書いたピエロ・ディ・コジモは「かれは人間よりも動物に近い生活をしていた…決して室内を掃 [...]

ピエロ・ディ・コジモ

ピエロ・ディ・コジモ。実は最近知りえた画家です。学生時代ばかりではなく、滞欧時代を通してもピエロ・ディ・コジモについて意識したことはありませんでした。ウィーンで暮らしていた頃に、フィレンツェを訪れていて、ピエロ・ディ・コ [...]

幻想画家論

ボッス、グリューネウァルト、ピエロ・ディ・コジモ、ラ・トゥール、ルドン、ゴーギャン、アンソール、ムンク、スーティン、クレー、エルンスト、デュシャン…「瀧口修造全集1」に収められている幻想画家論で取り上げている芸術家です。 [...]

「瀧口修造全集」を紐解く

先日読んだ「老人力」(筑摩書房)から一転して「瀧口修造全集1」(みすず書房)を紐解きました。軽妙洒脱な「老人力」と、幾重にも重なった深い洞察に裏づけされた瀧口修造の論文集。あまりにも違う世界を描いても、それを読んでいる自 [...]