Archives for posts tagged ‘芸術家’

画家キルヒナーと戦争

20世紀初頭から第二次世界大戦のヒトラーの弾圧を受けるまで、ドイツは美術のエポックを迎えました。それがドイツ表現主義で、自分は学生時代から関心を寄せていました。まずコルヴィッツの版画が先陣を切って、自分の中に入り込んでき [...]

表現主義の時代

1980年から85年までの5年間、オーストリアに暮らしていた自分は、古都ウィーンの前々世紀から変わらぬバロックの燦然たる景観に、時として愛着を感じていました。これはドイツ表現主義の時代でも、変わらぬ空気をもって街が存在し [...]

ドイツ表現派の書籍

「バルラッハ~神と人を求めた芸術家~」(小塩節著 日本キリスト教団出版局)を読んだ後に、「右手と頭脳~エルンスト・ルートヴィッヒ・キルヒナー《兵士としての自画像》」(ペーター・シュプリンガー著 前川久美子訳 三元社)を読 [...]

バルラハの思いを辿って…

小塩節著「バルラハ~神と人を求めた芸術家~」(日本キリスト教団出版局)を読んでいると、ドイツの近代彫刻家エルンスト・バルラハの人間性に関わるところに魅かれて、その人から生まれる造形は然も有なんと感じてしまいます。「~略~ [...]

「神と人を求めた芸術家」

表題はドイツの近代彫刻家エルンスト・バルラハのことを取り上げた「バルラハ~神と人を求めた芸術家~」(小塩節著 日本キリスト教団出版局)の副題になったコトバです。バルラハは最近日本でも徐々に知られてきた彫刻家であり劇作家で [...]

壁体彫刻の魅力

壁体彫刻という名称は自分にとって大変魅力的です。彫刻家を志した時は、当然平面より立体表現が好きで、立体構造の何たるかを会得したいと願って、自分は20歳代初めに粘土を手に取ったのでした。その時から立体としてモノを捉える訓練 [...]

世田谷の「佐藤忠良展」

今年99歳の彫刻家。70年以上にわたって彫刻一本でやってきた人に羨望を覚えるのは私だけではないと思います。自分だって可能性無きにしもあらず、と自分を奮い立たせたい心境です。彫刻家佐藤忠良は、彫刻を始めたばかりの自分には雲 [...]

「保田春彦展」錆鉄の柱に再会

タイトルに錆鉄の柱と書きましたが、本来の題名は「集落の跡 Ⅰ.Ⅱ.Ⅲ」。3点1組の錆鉄による作品で、床から柱状に伸びた上部に幾何的な構成が施された作品です。自分はこの作品が大好きで、平塚市美術館をはじめ、さまざまな空間で [...]

3つの美術館と4つの展覧会

久しぶりに美術展三昧の日でした。付き合うなら一日に行く美術展はせいぜい3つまでと家内に言われているのですが、今日家内が胡弓の演奏に出かけたので、知り合いの美大生に声をかけました。そこで今日は美大生と3つの美術館と4つの展 [...]

迷路の造形

迷路を俯瞰すると、その造形の面白さに我を忘れます。彷徨う心理を巧みに利用し、また演出することは高度な遊戯性をもった立体造形です。迷路は規則性と不規則性が織り成す宇宙で、そこに人は取り込まれてしまうのだと思います。都市にも [...]

非対象絵画探求への道

昨日に続いてロシア人画家カンディンスキーの辿った非対象絵画探求の道を考えます。それは近代から現代へ美術界で大きな価値転位が行われた事件と言えます。カンディンスキーの絵画にはよく宗教的な題名がつけられています。「カンディン [...]

「芸術における精神的なもの」

1912年にロシア人画家カンディンスキーが著した「芸術における精神的なもの」は、2011年の現在からすれば100年も前に出版されたことになります。その中に「…容貌や身体の各部分が、芸術上の理由から置きかえられたり、デフォ [...]

カンディンスキーの初期絵画

非対象絵画の創始者として有名なロシア人画家カンディンスキーは、自分が最も注目している芸術家の一人です。カンディンスキー関連の展覧会は、時間や場所が許すならば必ず見に出かけています。最近では東京丸の内の美術館で開催していた [...]

読書への思い

昔から読書癖があって、読みかけの本をいつも携帯しています。「瀧口修造全集」(みすず書房)は長い時間をかけて読んでいて、かれこれ1年も経つような按配です。通勤の時しか読めないこと、その通勤時間が短いこと、加えて瀧口流の文章 [...]

カンディンスキーの研究書

書店に入ると、まず美術書のところに行く癖が自分にはあります。書棚に並んでいる美術書の中で、自分の興味関心のある芸術家に関するものやテーマ性のあるものには、思わず手が伸びてしまいます。実は衝動買いも少なくありません。画家カ [...]

「池田龍雄 アヴァンギャルドの軌跡」

先日、表題の展覧会に行ってきました。神奈川県川崎市にある岡本太郎美術館は、岡本太郎ゆかりの芸術家による企画で見応えのある展覧会が多く、そのたびに見に出かけます。現在開催中の「池田龍雄 アヴァンギャルドの軌跡」展も、60年 [...]

偶然が生んだ異国の街

2006年10月19日付のブログ「ムルナウの短い夏」にある通り、自分が初めて海外に出かけて辿り着いた街がドイツのムルナウでした。当時はまだドイツが東西に分断されていた時代なので、正確には西ドイツのムルナウだったわけで、西 [...]

「カンディンスキーと青騎士」展

自分にとって注目すべき展覧会です。ブログに何回となく書いているカンディンスキーは、P・クレーやシュルレアリスムの芸術家と共に自分の中に今も生きつづけている画家なのです。年刊誌「青騎士」の翻訳が白水社から刊行されたのを契機 [...]

竹橋の「麻生三郎展」

先日、東京竹橋にある国立近代美術館で開催中の「麻生三郎展」に行ってきました。背景と同化した人体。混沌とした重厚な壁を見ているような麻生三郎の油彩は、人の存在を問うような世界観をもっています。灰一色に見える大きな画面にはさ [...]

土練りのあと美術館へ…

成形に使う陶土がなくなり土練りをしました。陶彫は土を単身ではなく複数の土を混ぜて使っているのです。近々新しい土錬機が来るので、今使っている土錬機最後の仕事かもしれません。自分と懇意にしている陶芸業者から連絡があって、いい [...]

週末の美術館巡り

彫刻家池田宗弘先生をはじめ、お世話になっている方々にお歳暮を贈りに家内と街に出ました。そのついでに知人にチケットを頂いた「麻生三郎展」を見てきました。東京竹橋にある国立近代美術館に行くのは久しぶりでした。麻生先生は大学の [...]

クラシック音楽を聴く機会

20代の頃にオーストリアの首都ウィーンに住んで、リング(環状道路)沿いにある国立歌劇場に毎晩通っていました…と、書くと自分はいかにも文化意識が高く、経済的にも恵まれた、どちらかと言えば鼻持ちならない留学生に見えますが、実 [...]

「風のアルファベット」I・タンギー

空漠たる風景の中に象徴めいた何かが存在しているという絵画があります。そのトーンがちょうど嵐の前の空に似て、異様な雰囲気を醸し出しています。フランス人画家イヴ・タンギーの「風のアルファベット」はシュルレアリスムの典型的なス [...]

「少女が見た湖の夢」M・エルンスト

横浜美術館は自分の地元にある施設なので頻繁に訪れます。主に企画展が目的ですが、常設にも注目すべき作品が多く、常設展示会場にもよく足を運びます。自分の憧れる彫刻家イサム・ノグチの他にシュルレアリスム絵画や彫刻のコレクション [...]

詩画混在のJ・ミロ

象形文字のように単純化された形態をもつジョアン・ミロの絵画には、日本の前衛書道に共通する余白のセンスがあります。余白は空間であり、そこに平面でありながら立体としての空間を感じるのは私だけでしょうか。ミロには具体的なモティ [...]

「普通の生活」という幸福

最近の世知辛い国際情勢を見ていると、現在自分が何の心配事もなく送っている生活が、とても幸福に思えてきます。「普通の生活」という当たり前が、当たり前にならなくなっている世の中です。いつ何があってもおかしくないという感覚にし [...]

自分の中のバウハウス

今月4日のブログのタイトルが「自分の中のシュルレアリスム」。今日はバウハウスです。自分はバウハウスに特別な思い入れがあります。ドイツが生んだ画期的な造形教育施設だったバウハウスは、ナチスの弾圧を受け、その理念は米国に受け [...]

ドガの彫刻試作

現在、横浜美術館で開催されている「ドガ展」には、デッサンや絵画の他に彫刻が出品されています。ドガは彫刻技法の中の塑造という可塑性のある素材を用いた立体造形をやっているのです。絵画と違って人の目に触れることの無かった塑造。 [...]

横浜の「ドガ展」

昨日出かけた横浜美術館は、日本各地から集まった警察官に囲まれた厳戒態勢の中にありました。APECが横浜のみなとみらい地区で開催されているためです。それはさておき横浜美術館の「ドガ展」は、素描の楽しさを満喫できる内容で、パ [...]

M・エルンストに纏わる話

ドイツのシュルレアリスムの画家であるマックス・エルンストは、自分の好きな画家の一人です。エルンストは、幼い頃はしかにかかって熱にうなされ、彼が寝ていた天井の羽目板の木目が目玉に見えたり、鳥の頭に見えたりしたことを覚えてい [...]

アンドレ・ブルトン再び

フランスの詩人でシュルレアリスムの提唱者であるアンドレ・ブルトン(1896~1966)は、学生時代に美術雑誌を通して知っていましたが、ようやく昨年の夏に著書「魔術的芸術」(河出書房新書)を読んで、ブルトンの思想の片鱗に触 [...]